管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

結局のところ仕事がつらくて泣きそうだっていうだけの話

 

 文章を書く仕事をしている。具体的な業界は伏せるが、会社に雇用されるかたちで、とある分野の広告にかかわる文章を書いている。

 文章を書いている、とは言ったものの、正確にはあまり自分では書いていない。社内の「編集・検品」というセクションに回されており、外注のライターが納品してきた原稿を手直ししているのが現在の業務だ。かつては自分で原稿を書いていた。

フリーランスのWEBライター」の玉石混淆っぷりは今更説明するまでもないかもしれないが、「石」のほうにあたると、それはもう、驚きと怒りと悲しみと呆れとか、インド料理のスパイスのように刺激的な調和を見せてくれるものだ。どうしてお前は文章を書く仕事をしようと思ったのだ? 指先が震えて、舌の奥に鉄の味が広がる。

 ただ、これは、おれが今から書こうと思っていることの本質ではない。それになんだか自分を棚に上げているようだし。おれが言いたいのは、なんというか、いかにも若手労働者然としている、未熟で青臭くてベタな嘆きなのだ。きみの役に立つことは書かないから、もう読まなくていいよ。

 

 分野を問わず「書く仕事」に従事している人間のほとんどが、文章を書きたいと思ってその仕事を選んだのだろう。文章を書きたいと思って書く仕事を選ぶのは当然のことだと思うだろうが、ちょっとここで立ちどまってほしい。

「文章を書きたい」という動機の「文章」は正確に何を指すか。それは、ほぼすべての場合において「自分の書きたい文章」であると思われる。統計はないのでおれの周囲のサンプルしか参照していないが、さまざまなWEBライター達と原稿越しにかかわっていて、そう感じることがある。とくに「石」のWEBライターの原稿には、書き手のドヤ顔が容易に想像できて唾を吐きかけたくなるようなレトリックや喩えが不要にちりばめられている(さっきおれが書いたインド料理のスパイス云々は見逃してくれ)。あと、そもそもヘタ。

 そのようないらないレトリックや喩えからは、オリジナリティのある文章を書きたいという欲求を感じざるを得ない。ただ、無名のライターに外注で投げられる仕事というのは、大抵の場合においてオリジナリティは求められないのが現実だ。むしろ邪魔である。要求された内容を正しい日本語で書いてほしいだけなんだから。無論、ジャンルによるよ。

 

 そして、人様の原稿についてアレコレ言うおれ自身も、自分の文章が書きたい人間なのである。だからつらいんだよ。ゴミみたいな文章に腹が立つと同時に、その文章からにじみ出る感情に共感してしまうから。

 だからさ、要求された原稿を素直に出せない人がいたらさ、安い単価で文章書く仕事はもうやめようよ。きみがどんなに自分の表現をしたかったとしても、契約先に評価されない限り単価が上がることは見込めない。あと、きみの原稿を読まされて書き直さなきゃいけないおれが苦しいんだ。二重の意味で。

 死ぬほど代わりがいる低単価のWEBライターなんかやめて、たとえ負け犬になったとしても、自分の才覚で勝負に出る人生のほうがまだマシだと思うぜ。

 

 なるほど、よしわかった。お前はそうするか。よかったよ。え? それで、おれはどうするかって?

おれは、おれは……。

 

 

(未完)

スッタ・ニパータ(未来語訳)

なんだか地味だが、サイは意外にも一角獣なのだ。だから、南アジアなんかでは神聖な動物として敬われているらしい。そんなはなし聞いたことないけど。

 

もっと、ボクたちのことをよく知ってくだサイ。

 

そうだね。

 

ぺしぺし。

 

サイの角は意外にも硬いものだ。なんといったって、角だものな。

 

ゾウの牙だって、とっても立派なんだゾウ。

 

そうだね。

 

ふきふき。

 

ゾウの牙は意外にも滑らかなものだ。なんといったって、牙だものな。

 

なんだい、なんだい。結局サイ後はゾウくんばっかり褒めるんじゃないか。

 

そう言って、怒ったサイ君はどこかに去ってしまった。

 

次のサイ会はいつになるのだろう。

 

 

 

オラにTポイントを分けてくれ!

「レジ袋はご利用ですか?」

 

「大丈夫です」

 

なにが「大丈夫」なのだ。

 

 

レジ袋有料化以来、このような往復を幾度となく繰り返している。嫌というほど自覚しているのにも関わらず、店員さんの前でこのような「優良健康男児宣言」をしているのには、いちおう理由のようなものがある。

 

「いらないです」「いりません」

 

とは言いにくいのだ。

 

「お前はレジ袋を有料で買うのか」という問いに対するアンサーとしては最適解ではあるはずなのだが、どうも、このような拒否の言葉を発するのには抵抗を覚える体質なのだ。おれは。しかも「大丈夫です」の出力が自動化されてしまっているものだから、

 

「Tカードをお持ちでしたらご提示お願いします」

 

という確認にも

 

「大丈夫です」

 

と回答する始末。本当は持っているのに。Tカード。TSUTAYAでDVD借りるから貯めたいのに。Tポイント。

 

きっとこのような出力は、「利用規約」の四文字を目にしたら思考停止で最下段へスクロールし、「同意」のチェックボックスをタップするときと同じ回路でなされているはずなので、仮に店員さんが

 

「お前はこのトップバリュのカマンベールチーズを購入することにより、我々が秘密裏に開発を進めている生物兵器への人体実験に協力すると意思表示したことになる。よろしいか」

 

と訊いても

 

「大丈夫です」

 

なんて言って、財布の小銭をまさぐるのだろう。

 

そうして店員さんがレジカウンターのどこかに隠されたスイッチを押すと、おれの足元の床が抜けた。

 

 

あれから幾日が経ったことだろう。おれは未だに「まいばすけっと」の地下迷宮を彷徨いながら、研究員たちの手から逃れようとしている。しかし一方で、このまま彼奴らの兵器開発を許してしまえば、人類史上類を見ない災禍を地上にもたらすことになる。

 

とはいえ、今のおれに一体なにができよう?

 

逃走することもままならず、かといって例の開発を阻止するための破壊工作を図る術もない。最早、この運命を引き受けることしか、おれにとっての「選択」は残されていないのか。

 

そうして途方に暮れていると、後方から、ひた、ひた、という湿っぽい足音が聞こえてきた。

 

南無三、研究員たちを振り切れなかったか。いや、この足音は普通の人間のものではない。もう完成してしまったのか。まさか。

 

おれは、考えるよりも前に、走り出した。何日もかけた末に脱出できなかったのだから、今更駆けたところで捕まってしまうのは時間の問題だ。しかし、それでも逃げなければならないと、おれの本能がおれを動かしていた。逃げろ。

 

が、二つ目の角を曲がったところでつまずく。ここで何もかも終わりか。思えば、今まで何一つ困難や理不尽に立ち向かったことのない人生だった。要するにおれは最後まで根気強く物事に取り組めない人間なのだ。

 

ふとおれは、目の前に落ちている、扁平で手のひらに収まりそうな大きさの物体に気が付く。転んだ際に懐から飛び出たものなのだろうか。しかしこの扁平な物体は、青白く発光している。こんなものを持っていた覚えはない。

 

それでもおれは、あらん限りの力を振り絞って、扁平な発光体を手に取る。

 

それは、Tカードであった。

 

そういえばTポイントが(たぶん)300円ぶんくらい溜まっていたのだった。

 

 

そうしておれはTSUTAYAに立ち寄って「生きものの記録」と「暴力脱獄」と「気狂いピエロ」を借りて家に帰った。

 

 

生きものの記録

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暴力脱獄 (字幕版)

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気狂いピエロ [DVD]

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他人について書くことができなくなった

表題の件です。

 

という、ビジネスメール風の一文。

 

それはともかくとして、本当に他人について書くことができなくなった。

 

工場でバイトしていた頃は、同僚やら先輩やら後輩や社員やら、あるいはそのへんですれ違った人やらのことを、勝手に心情を推し量ってあれこれと書き連ねていたものだが、広告ライターの仕事をするようになってからは、同じことがさっぱりできなくなった。

 

※なぜか。

 

ひとつには、他人と接触する機会が著しく減ったという要因がある。出社していた時期は各々の人間が各々のパソコンとにらめっこして各々の業務に没入するという環境にいたものだから、業務上の必要性がない限りは隣の席の人とすら言葉を交わすことがなかった。おまけに今は在宅勤務である。こういった環境下では、電話越しに作業進捗の確認や問題点の報告くらいしか発話する機会がない。強いて言えば、自分や他人が書いた文章を声に出して読むことも「発話」といえば「発話」なのかもしれないけれど。

 

とはいえ、個々の関わり合いが最低限となった社内であろうが電話でしか喋らない自宅だろうが、そこには確実に「コミュニケーション」というものが存在していた(存在している)。にもかかわらず、他人のことを考えることが著しく少なくなった。

 

※(繰り返し)

 

確実に実感しているのは、今の職場は、以前働いていた工場と比べて従業員たちの均一性が極めて高いということだ。もちろんこれは「周りの連中はどいつも似たり寄ったりつまんねー。もっとおれを楽しませてくれよー」と言いたいのではない(1ミリも思っていないかと問われれば嘘になるけれど)。今の仕事のような俗に言う「クリエイティブ職」は、決して、同じく俗に言う「誰にでもできる仕事」ではないだろう。個人的な所感ではむしろクリエイティビティの対極を見ている気もするが、ともかく社会通念的な視座から見れば職業ライターは立派な「クリエイティブ職」ということになっている。そんな「誰にでもできる仕事」ではないクリエイティブ職」に就く人たちの間には、あまり人間的ばらつきが見られないような気がするのだ。

 

※(繰り返し)

 

 

と問われ、具体例を要求されても、正直挙げるのは難しい。

 

※(繰り返し)

 

なんかこの曲サビ多いな。まあそれは置いておくとして、具体例を挙げることがなぜ難しいかというと、かく言う自分自身もその「あまり人間的ばらつきが見られない」「均一性が極めて高い」集合体の一部だからだ。

 

自分はもう、とっくに適応しきって、同化している。

 

自分、右隣の人、左隣の人。これら三者を個体識別する際の基準とは?

 

個々の生物学的な相違、あるいは性格・気質の傾向、そして価値観の立脚点のこととかを言っているのではない。そんなの全員違うに決まっているだろ。でもそんなのは、例えば「ユニクロのネイビーブルーのカラーシャツ」と「ユニクロのダークブルーのカラーシャツ」のボタンの形状の違い程度のものなのだ。おれにとっては。

 

おれにとっては。

 

と思う「ユニクロのコバルトブルーのカラーシャツ」のおれなのであった。

 

 

 

※(繰り返し)

 

 

ハイボール2

今日、神保町のバーでカナディアン・クラブとカティサークハイボールで飲んだ。

二人組の女の子の前でかっこつけた。

 

その後、そこから少し歩いた所にあるガールズバーで、山崎と角瓶とバランタイン・ファイネストをハイボールで飲んだ。

わざと寂しがってみせた。

 

投資額:約12000円

収穫:「おしゃれだね」

 

うへへ。

 

 

形而上の実況アナウンサーが言った。

「さあ、本日の試合のハイライトを見ていきましょう」

 

銀行員ヨーゼフ・Kは、ある日、突然逮捕される。彼には何ひとつ悪いことをした覚えはない。いかなる理由による逮捕なのか。その理由をつきとめようとするが、確かなことは何ひとつ明らかにならない。

 

形而下のおれは答える。

「明後日からの6連戦、目が離せませんね」

 

 

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