管理社会VSシーフードカレー

普段は工場で働き、たまに劇団員になる人の雑記。よく嘘をつく。

突如としておれに訪れた吉田美奈子ブーム

車窓には、上野の夜景。おれの網膜には雑多な街並みが流し込まれ、そのぶん押し出されるように、吉田美奈子は別れも告げず去っていった。

……。

文末っぽいことを冒頭に書けばなんとなく都会的カッコよさが漂うと思ったけど、特にそんなことなかったぜ。

ところで、都会的カッコよさといえばやっぱり吉田美奈子

今年の正月休みは(も)、青森の祖母宅で半引きこもり生活を送っていた。やることがあるとすれば、買い物と雪かきくらい。あとはだいたい本を読むか音楽を聴いていた。もしくは本を読みながら音楽を聴いていた。映画のDVDを何本か(あとナイツの漫才ライブのやつも)持っていったものの、なんとなく観る気にはなれなかった。

昨今の若者らしく、テレビはほとんどつけていない。紅白もガキ使も0.1秒たりとも視聴しなかったぶん、居間には音楽を置いていた。

音楽も長時間流せばさすがに沈黙が恋しくなるものだが、おかげで小さな発見もいくつかあった。

ビートルズをバックにしてグラスにビールを注ぐとすげえCMっぽくなること。モップスの『ブラインド・バード』は少し前まで自主規制されていた曲だったこと。他にも色々あるが、なんといっても吉田美奈子はカッコいい、ということ。


吉田美奈子は「夜の都会」だ。「都会の夜」よりも「夜の都会」のほうがしっくりくる。語順は大事だ。「夜の都会」ならば、ネオンサインや街灯から滲む光芒をより鮮明にイメージさせてくれる。「都会の夜」では、なかなかそうはならない。

なぜかと問われても、おれがそう感じるから、としか答えようがない。一応Don’t think. Feel.は置いときますね。定型句として。

なにもべつに、青森で吉田美奈子を知ったわけではない。わりと以前から存在を認識していたし、気が向いた時にちょこっと聴きもした。

それでもなぜか、青森での吉田美奈子はおれに刺さった。聴いている間、一時間に一回ペースで「吉田美奈子かっけえな」という感嘆をそっくりそのまま繰り返した。

それはたぶん、おれ自身が実際の都会から離れていたからだろう。祖母宅周辺は、青森市内にあるくせに妙に山間の集落っぽい。当然静かで、玄関のドアをがらりと開けたところで雪の降る音しか聞こえてこない。しんしん、って。

そんな環境だからこそ、吉田美奈子は青森のおれにとって『ただ都会の夜っぽいことを歌った人』ではなく、『雪世界に街の灯を持ち込んだ語り手』になったのかもしれない。語り手が見せる画は、風景ではなく情景だ。イメージが記憶を包摂し、記憶がイメージを補填する。現実の都会は好きでも嫌いでもないけれど、ここでなら綺麗だ、と思った。

東京に戻る。新幹線の車内アナウンスで目を覚ますと、窓の外には、窮屈で煩雑、混沌としていて激しく鬱陶しい夜の街並みが見える。どちらかといえば、こちらの方が「都会の夜」だ。

それから、おれは吉田美奈子をほとんど聴かなくなった。竜巻みたいに過ぎ去っていった。

 


吉田美奈子 - 頬に夜の灯 - YouTube

 

 


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(祖母宅。いちおう県庁所在地)