管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

好きだったK君の失踪について

今まで自分の仕事に関しては一切言及してこなかったが、現在、冷凍ピザの工場でアルバイトをしている。特に説明すべき理由はない。ただ、色々なところでうまくいかなくて、今ここに流れているだけの話だ。

 

では、なぜ仕事の話をしようと思ったのか。それは、ある同僚が職場を辞めてしまったという話を聞いたからだ。

 

K君、という。

 

彼は九州から上京してきた、プロボクサー志望の男だった。おれと同い年で、おれと同じ日に同じ部署で働き始めた。身長もおれと同じくらい(180ちょっと)で、一緒にベルトコンベアーに立っていると、ある社員から「ツインタワー」なんて呼ばれたことも思い出す。

 

彼は寡黙で、用件がない限り自分からは口を開かず、何かを話しても一度に5秒以上は語らなかった。誰かと雑談している姿など見たこともない。でも、高圧的な雰囲気も人を寄せ付けないオーラも無く、ただ、口下手で照れ屋なのが彼の表情からよく伝わってきた。

 

おれは、そんなK君が好きだった。直接言葉を交わす機会はそこまで多くなかったけど、好意の深さに言葉の数など関係ないことが、彼と接していて実感できた。仕事場で一日8時間顔を合わせている赤の他人よりも、月に1度しか会えない恋人とのほうが、一緒に時間を過ごしていて遥かに歓びを体感できるのと同じだ。先輩の饒舌な自慢話は来世にまで退屈を残しそうなくらいつまらなく鬱陶しいのに、K君の、低い声からもごもごと発せられる冗談はとても楽しい。

 

そんなK君を、自分の所属する劇団の公演に誘った。昨年の12月だった。

 

「えっ、いいんですか、僕なんかが見に行っても」と、やや過剰な謙遜こそあったが、彼は二つ返事でOKしてくれた。おれは嬉しかった。

 

そして彼は、約束通り公演に来てくれた(若干遅刻してきたけど)。終演後はおれに特段話しかけることもなく軽い会釈と挨拶だけで足早に帰っていったが、後日のLINEで「カワイさんの夢を追ってる姿を見て僕も云々……」といったメッセージをくれた。ちょっと違うんだけどな、とも思ったけど、彼らしい素朴な言葉で綴られた言葉だった。

 

工場の同僚たちでおれの公演に来てくれたのは、K君だけだ。というか、おれが公演に誘ったのが、K君だけだった。できるだけたくさんのお客さんに来て欲しかったうちの劇団の主宰やメンバーたちには申し訳なかったけれど、おれは、誘いたい人しか誘いたくなかった。なんというか、ややホモセクシュアルっぽい表現になるけど、彼には、おれの一部を差し出せる、ある種の信頼性があった。なぜかと問われても、うまく言い表せない。ただ、なんとなくそう感じただけだ。だからこそ彼は、いい友達になれると思っていた。そのうち食事にでも誘おうかとも思っていた。

 

でも、そんなK君は、もう、いない。

 

理由はわからない。ある同僚に聞くところによると、何日か前から音信不通になっていたのだという。まあ、深入りした詮索をしなければ、ごくありふれた『バックレ』ということになるのだろう。彼のバックレに関して特に言うべきことはない。彼の中で静かに沸上がっていた不満や不安がある日突然溢れかえってしまったのかもしれないし、実は彼はおれが思うよりずっといい加減で無責任な人間で、ただ単に仕事に飽きてスタコラと去って行っただけなのかもしれない。要は、真面目過ぎたか、不真面目だったかのどちらかなのだ。でも、おれにとってそんなことはあまりにも些末だ。

 

重要なのは、彼がある日突然去ってしまったという、残酷なまでに揺るがない事実だけだ。

 

約3年前、「大好きだよ」と告げて、忽然とおれの前から去ってしまった女の子がいた。おれは彼女のことが好きだった。

 

またか、と、おれは思う。

 

もともと友人が少ないおれにとって、無防備で向かい合える人というのは本当に貴重な存在だ。たしかに、共有してきた時間の密度や幸福感、胸に刺す痛みと悲しみという点では、彼は彼女に遠く及ばない。それでも、利害、損得、魂胆抜きで、素直に「好き」と言える(言えそうだった)相手であることには、K君も彼女も変わらなかった。

 

大げさか? 大げさだろう。大げさに決まっている。自分でもよく分かっている。連絡も接触も、しようと思えばいとも容易い。でも、そんな気にはなれない。「思う」までがあまりにも遠い。0と1の距離。

 

どうしておれは、何かが自分から離れそうになっていく時、手を伸ばして引き留めないのだろう。拒絶が怖いのか、それとも本当は、友情や愛ではなく、喪失を欲しがっているのか。心の穴こそが自身のパーソナリティーの根幹を成すのだと、思いたがっているのだろうか。

 

だとしたら、おれはさぞかしロクでもない人生を送ることになるのだろう。何かを失う度に、いや、失う前から、孤独のポーズだけは一丁前に取ってみせて、内心では、つまらないナルシシズムと一緒にほくそえんでいる一生。安酒を出すバーで、いかにもかまって欲しそうに何もないところを見つめている。そうして歳を重ねていく。本当にくだらない。

 

K君が失踪したと知ったその日、おれは社員に無断で帰宅した。無断で帰宅したからといって、特段何かをするわけでもない。いつものように、窮屈な電車で退屈な本を読み、家に帰れば、酒を飲みながら何かを書く。ただ、それだけだ。今日と明日は同じ日で、区別なんかつかない。

 

ごくありふれた一日の、ごくありふれたバックレ。

 

今日もアルコールが話し相手。