管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

ヘイトスピーカーたちは自らの過去に何を置いてきてしまったのか

去年の12月、天皇誕生日のことだった。その夜、おれは神保町のさくら通りでこんなひとたちとすれ違った。

 

そのひとたちは、男ふたり女ひとりの三人組で、ぱっと見、40代か50代くらいの年齢だった。

 

各々の手に握られていたのは、日の丸の国旗、メガホン、何らかの荷物が詰まった手提げかばん。

 

デモか集会を終え、どこかで呑んできた帰りだろう、三人ともひどく酔っている様子だった。千鳥足とまではいかないが、ふらふらした足取りでこちらに向かってきた。

 

暗い中でも互いの容貌が認識できるくらいに近づいたそのとき、女が突然叫んだ。

 

「朝鮮××が×××××××ねーだろー!!」

 

ろれつが悪くあまり聞き取れなかったが、そのことばを聞いたとき、おれの背筋が一瞬で強ばり、同時に彼らの姿を注視せずにはいられなくなった。

 

天皇制や国家体制に関係する祝日がやってくると、靖国通りは普段より緊迫する。

 

日の丸や旭日旗やプラカードを掲げた人々がどこからともなく姿を現し、黒塗りの街宣車からは国粋主義的(?)音楽が大音量で流れ、厳めしい機動隊員たちが機械のような顔で道路を固める。

 

そんな景色を目の当たりにする度におれはいつも悪寒に襲われ、一刻も早くどこかへ去ってしまいたいと思う。

 

その理由をここではっきりと言語化することは、正直難しい。

 

ただ、挙げられないことはない。

 

おれの持つ肉体がいわゆる「純血」の「日本民族」ではないこと。おれが今のところ体制としての国家をアイデンティティーとしていないこと。70年前の戦争によって生じた数々の過ちへの総括が未だなされていない現況において、無垢に「愛国」ということばを掲げる態度への抵抗感が拭いきれないこと(おれには愛国心がないと言いたいのではない)。

 

そしてなによりも、無論一部だが、愛国的態度を標榜しながら特定の民族への差別的言説を撒き散らす連中が公然と跋扈している現実に対する恐怖。

 

必要以上に漢語を並べ立てて読みづらい文章になってしまった。なんだよ「愛国的態度を標榜しながら特定の民族への差別的言説を撒き散らす連中が公然と跋扈している現実に対する恐怖」って。なげえし。天丼みてえに熟語が並んでんな。熟語ギャグか。いや、むしろこのテの問題や感情は和語で言い表せないからこそこうなってしまったのかもしれない。

 

だからもうはっきりと言う。

 

おれはヘイトスピーチ、及びヘイトスピーカーたちが怖い。

 

嫌いでもあるが、それ以上に、とてつもなく怖い。

 

右っぽいひとたちが集まる度に、愛国ということばを傘にしてヘイトを発散させる連中。「デモ」「散歩」と称して大っぴらにヘイトを喧伝する連中。

 

おれは愛国的態度そのものに疑問を呈しているのではない。愛国的態度を隠れ蓑にして厚顔無恥に差別を正当化する者たちがいることによって、国家的集会に出くわす度に、心に嫌なざわつきが沸き上がってしまうのだ。

 

恐らくだが、ヘイトスピーカーたちの世界観に生きている「日本人」の中に、おれという人間は含まれていないのだろう。直感だが、身体そう言っている。

 

まあ、べつにそれはどうだっていい。ただおれの中で氷解しないのが、現状、連中が標的にしている対象は在日韓国人在日朝鮮人の人々がほとんどであるのにも関わらず、なぜだか、おれ自身もまた攻撃されているような感覚になっていることだ。おれは在日韓国人在日朝鮮人ではないのに。

 

この判然としない感覚と、おれが初めてヘイトスピーチを目撃したときの感情は、いつか別の機会に書くかもしれない。今はまだ、自分でも説明できない。

 

話を冒頭に戻す。

 

あの天皇誕生日の夜、おれとすれ違った中年女は、突然「朝鮮××が×××××××ねーだろー!!」と叫んだ。

 

そのワンセンテンスのみで彼女らをヘイトスピーカーと認定することは乱暴かもしれないし、むしろそういった指差しこそが差別的行動とも思えてしまう。そもそもおれは発言の半分以上を聞き取れなかった。ほんとうはヘイトスピーカーなんてひとりでも少ないほうがいい。あくまで全て仮定だ。しかし、彼女の語気からははっきりと高揚の中の侮蔑と嘲笑を感じ取ったし、横にいた男たちの反応も、完全に彼女に同調した高笑いであったことは忘れられない。

 

そしてもうひとつ、おれは悪寒とともに彼女らに対する物哀さも抱いてしまった。

 

侮蔑的で嘲笑的な語気で何かを発したあの三人組は、とても楽しそうだった。その様子は、まるでライブに来た観客を存分に沸かせてきた学生バンドマンたちの打ち上げ後のようだった。

 

たとえがわかりにくかったと思う。すまん。要するに、酔っている状態とはいえ、道路の真ん中を無遠慮に歩き人目も気にせず「勝利」の余韻に浸っている彼女らの様子に、人間的成熟を微塵も見いだせなかったのだ。

 

よく言えば、とても若々しかった。まるで(二回目)あの頃の青春をやり直しているようにも見えた。

やり直している? もしかしたら、少し違うかもしれない。

 

まったく的はずれかもしれないが、こう思った。

 

彼女らがほんとうに拠り所にしたかったのは、個人にとってはあまりにも巨大であまりにも強権的な「国家というシステム」ではないと。

 

ほんとうに拠り所にしたかったのは、いつも隣にいて、喜びも悲しみ苦しみも分かち合ってくれて、自分が社会的動物として満たされていることを実感させてくれる「生身の他者」だったのではないか。

 

そしてほんとうに求めていたのは、国家と自己の同一化ではなく、同じ目的で汗を流し、同じ席で酒を呑み、同じ歩みで笑ってくれる仲間なのではないか。

 

人間関係に恵まれているひとであれば、そういった関係性は若いうちに築くことができて、ある程度年を重ねてもそう簡単に失うことはないかもしれない。肉体とともに、感情も成熟してゆく。

 

では一方で、若いうちに、利害ではない実りのある人間関係を築けなかったひとは?

 

おれには想像することしかできない。でも、想像だけでも、寂しさ空しさと満たされなさばかりを胸に抱えてしまうことだけはわかる。そうして、ほんとうにひとりで死を待つことになってしまうということも。

 

おれはまだ若いし、自分が損得抜きの恵まれた関係性の中に生きているかどうかよくわからない。年を重ねたあとのことも、実際に年を重ねてからでないとわからない。でも現在のおれにとって、同じ劇団の仲間も、同じ職場の友人も、同じ家で狭くもそれなりに楽しく暮らしている同居人もみんな違うかたちで大切な存在だと思っているし、おれはおれなりの幸福の中にいると思っている。いつか別れが訪れるものだとしても、そう簡単に失いたくない。

 

いまは、それしか言えない。言えることがあるとすれば、おれはひとりが好きなくせに何かに繋がる糸を持っていないと正気を保てない弱い人間であり、おれのような人間はきっと他にも大勢いるのだろうということ。

 

あの日の三人組は、若さと呼ばれるはずだった過去に置いてきた忘れ物を取り戻すために、国家と民族と差別に青春を見いだしてしまったのだろうか。だとしたら、なんだかやりきれない。

 

いっつもやりきれない思いしてんな、お前。