管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

Jの波浪にのせられて

朝起きたらすぐにJ-WAVEのラジオをつけて、洗濯やら皿洗いやら軽い掃除やら弁当の準備やらを2~3時間かけて済ます。そうして仕事に行く。もちろん朝食は欠かさない。それがここ最近の朝のルーティンだ。夜は休眠、朝に用事で調子保持。

 

さて、そのJ-WAVE。きょう洗濯物を干していたところで、番組内に「映画コメンテーター」なる人物が登場し、クリスマスにオススメしたい映画とやらをあれこれと紹介していた。

映画コメンテーター?

評論家とは違うのか。

その「映画コメンテーター」は紹介した映画に関して、その映画が映画史のなかでどのような文脈に位置しているか、またシナリオの構成作法がどの類型に属しているかなどを説明していた。

じゅうぶん「評論家」の仕事である(出来ではなく内容という意味で)。しかし尺の都合なのだろうがひとつのトピックに踏み込む深度が浅く、用語が絡む解説になるとなるだけ表面を撫でるだけのような語り口に徹している印象だった。

まあ昼前のラジオで「クリスマスにオススメしたい映画」なんて銘打っている時点でどのような層に向けているかは想像に難くないし、そこに難癖をつけるつもりはない。番組のコンセプト上「評論家」よりも「コメンテーター」が語ったほうがなにかと都合がよいのだろう。いいんじゃないんですか。

 

しかしおれは「コメンテーター」と称して電波といっしょに飛んでくる人間を好いている。ひじょうに好いている。

番組の中で何らかの事件・問題に対しコメントを添える人々を十把一絡げにして称賛する意図はないが、その大半、とくにワイドショーとかいう恥知らずのテーマパークで狭窄な縄張りにしがみついている蒙昧な諸兄姉には特上の敬服を抱くばかりである。

己の見識の相対性をすっかり忘失したような切り込み方で、まともな検証や統計にも裏づけられていない、しかも影響力だけは一丁前に付与した放言を無責任に流布する様は、さながらイジメっ子たちが実権を握った小学校の学級会である。いや、公共の電波に乗せられてお茶の間に押し付けられるぶん、ワイドショーのほうがずっと高尚である。おまけに自身が素人であることを逆手に取り、おのが発言をあくまでも「コメント」とし退路非常口脱出路そしてあらゆる免罪符を懐に忍ばせるなどと、なんと正々堂々とした振る舞いであろうか。これならいかなる偏見と無理解を醸成し、電波を受信するしか能のない我々下賎の民どもに糾弾されようとも「言葉が足らず誤解を招いてしまった」と誠意溢れる定型句で心から謝罪し粛々と責任を取ってくださる。

マキシマムリスペクト。マジBIG UP。

本音を申し上げておくと、そのような聖者賢者の方々には現世に留まっておられるよりも、とっとと解脱して涅槃寂静へ到達してくださるほうが我々衆生はこの暗愚な世俗においてもう少しばかり生きやすくなるというものだが、さすがに敬意を表しすぎてしまったので、もうやめにする。

 

思わぬところで熱くなってしまった。

ともかく、ラジオで映画の紹介をしていた何某さんもせっかく素人以上の映画リテラシーと見識を持っておられるのだから、ケチケチと「コメンテーター」などと名乗らなくても良いのではと思ったのである。

映画に対する謙虚さゆえなのかもしれないが。