管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

苦しみのアジア、無心の反芻

満員電車がつらくて、途中の駅で降りてしまう。ホームのベンチに座り神経を整えるが、はたして、こんな調子で朝出勤の仕事に就くことができるのだろうか。そして彼(彼女)らはなぜ無事でいられるのだ?

 

とりあえず本を読む。

 

きょう買ったばかりの、アジア地域における弥勒信仰について書かれている本(あと池田晶子の本も買った)。

そのまえがきには

「苦しみのアジア」

というフレーズがある。

やけに奥に残ることばだな、と感じた。たぶん逆の語順で「アジアの苦しみ」であったならば、そのまま海馬の向こうまで通りすぎてしまっただろう。

 

苦しみのアジア

 

苦しみのアジア

 

苦しみのアジア

 

……と心の中で反芻してみる。

南無阿弥陀仏然り南無妙法蓮華経然り、無心の反芻によってもたらさせるものを、おれたちはよく知っている。「無心の反芻」なんていうと撞着的だが、とにかく「無心の反芻」なのだ。

 

いまから56億7000万年後、苦しみのアジアには如来となった弥勒が到来し、衆生は救済される。

いまのおれは、とにかく目の前の苦しみに運ばれなければどこにも帰れない。

 

もう9時になった。

 

辿り着くためには無心の反芻だけが頼りだ。