監視社会VSシーフードカレー
インフルも峠を越してだいぶ体が楽になった。まだ微熱が残っているけど、平熱に戻ったところでどうせ数日は職場に復帰出来ないのだから、せっかくだし、生活を楽しもうと思った。
なので、冷凍エビを使ってシーフードカレーを作った。
「生活」とは「シーフードカレーづくり」なのではないか。
ささやかな音量でコシミハルの曲を流しながら、エビの背わたをかき出し、ニンジンの皮をむく。すると、日常のあらゆる瑣末な問題が今だけは赦され、肯定的に先送りされる。それは健康的なモラトリアムでもあり、長いこと聞き逃していたメッセージを受け取れるような気さえしてくる。
人間の内面も食べたものでつくられるというのなら、やっぱり人はカロリーメイトではなくシーフードカレーを食べたほうがいい。人間には、混沌としていて不定形で、境目がなく、商業的箱詰めを許容しない健全さが必要なのだと思う。
「シーフードカレー」とは「取り戻すべき人間性」なのではないか。
なぜ、ディストピアSFに登場するメシがカロリーメイトみたいな棒状の固形食ばかりなのかが、今わかった気がする。
もしおれが「1984」とか「すばらしい新世界」とか「未来世紀ブラジル」みたいなストーリーを考えるとしたら、権力とシーフードカレーの戦いを描くかもしれない。
(シーフード要素はエビのみである)