管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

クァイ・ヌェイの山

前職は、小さな編プロでライターまがいの仕事をしていた。おれとしてはおれなりの誠実さで執筆や雑用に取り組んでいたつもりだったが、結局十分な経験も得ぬまま、心身を損なった末、会社を去ってしまった。うまく言えないが、あの空間はおれにとっての「瘴気」でみたされていた。会社を辞めてからの四ヶ月間、おれは転職活動もせず朝から晩まで家に籠っていた。

 

ある夏の、ある日。青森に住んでいるいとこから、朝の八時に電話がかかってきた。当時同居していた両親からおれの話を聞かされたのだろう。彼女の同情と叱責と激励の言葉たちが、まるで下水管をつたって這い上がってくるハツカネズミの群れように、スピーカー越しに次々とおれの耳にもぐり込んできてはわけもわからず頭の中を駆け回った。おれは一体どれくらいの時間、他人とまともに喋らなかったのだろうか。


言いたいことを一通り言い終えたいとこは、最後にこんなことを教えてくれた。青森の下北地方のとある地域には巨人のような山があり、そこにはおれと同じように「瘴気」にあてられてしまった者たちが、その身を再び人間界に結び付けるために訪れる神域があるという。もしかして恐山のことではないのか、とおれは訊いたが、どうやら違うらしい。

 

クァイ・ヌェイ、とその山はいう。どこのことばなのだろうか。アイヌ語に由来しているのかも知れないが、ネットで調べてみても確固とした情報が得られなかった。インターネットは相変わらず知っていることしか知らない。色々と不安が付きまとったけれど、おれには特に当面の予定もなかったし、きっといとこも、おれがクァイ・ヌェイに行くべき人間だと考えてあんな話をしたのだろう。おれは東京を発つことにした。

 

東北新幹線で、東京駅から八戸駅へ。そこから、JRの八戸線だの大湊線だのと鈍行をちまちま乗り換え、北奥羽線××駅で降車した。ずいぶん奥まった、森の中のポケットのような無人駅だった。いとこの家には帰り際に寄ることにして、とにかくおれは二本の足を進めた。

 

たしかに、そこには山があった。しかし普通の山ではなかった。おれを出迎えてくれたのは現地ガイドや村人ではなく、癇癪持ちのウグイスと、認知症の山ウサギと、てんかんモグラと、虚言癖の白樺たちであった。癇癪持ちのウグイスは割れた声でおれに罵詈雑言を投げ、認知症の山ウサギは何をしに穴ぐらから出てきたか忘れ右往左往。てんかんモグラは地中から土を震わし、虚言癖の白樺は明後日プロボクサーとして初めてリングに上がることをおれに教えた。

 

おかげで道筋がわからず途方に暮れたおれは、その時ちょうど足元を横切ったクロヘビに、おれの行くべき道を尋ねた。クロヘビは、山頂の一番高い木で眠っている四本足のフクロウに会いに行けばいい、と言った。とても丁寧に教えてくれたけれど、どうやらチック症らしく、五秒に一度の頻度でどこかのギタリストのように激しく頭を揺らした。

 

息を切らして山頂に到達したおれは、クロヘビの言っていた一番高い犬槐の木で眠っている四本足のフクロウを見つけた。四本足のフクロウは、おれの気配をずっと前から感じ取っていたのだろう。すぐさまぱちりと両目を開き、こう言った。

「だろうかまた何人目聞いたよヨモギこれでから」

文法を正しく組み立てて話せないらしい。でも言わんとしていることは何となく推察できたので、おれは四本足のフクロウにここに訪れた経緯をなるだけ簡潔に話した。すると四本足のフクロウは

「黙って世界でひたすらウァヌッ・ぺオルパの下れ再び。できる生きる浴びろそうすれば。クァイ・ヌェイをことがそうしたら元の水をだろう」

彼(あるいは彼女)がそう言い終えた途端、密集した木々の奥から、黒く大きな影がのっそのっそとこちらにやってきた。オオグマだった。右の脇腹に、人間の赤ん坊ひとりがそのまま収まってしまいそうな大穴があいているオオグマ。

 

大穴のオオグマは、そのままおれの目の前に立っている――そして四本足のフクロウが留まっている――犬槐の木の側まで寄り、その毛むくじゃらの額を力いっぱい叩きつけた。

 

その瞬間、四本足のフクロウはおれの脳内に直に羽音を響かせ、天高く飛び上がる。どしゃぶりのように降り注ぐ葉の雫。おれをじっと見据える大穴のオオグマの眉間には、黄金のように黄色い血液が流れる。 

 

おれは山を下ることにした。道中、あのチック症のクロヘビがまた教えてくれた。

 

クァイ・ヌェイに来るのは、どれだけ多くてもあと一度きりにしたほうがいい。ここへ三度足を運ぶことは、クァイ・ヌェイの住人となる契約を結ぶことと同義の行いとなる。また、クァイ・ヌェイに植生する食物を口にすることも、契約と等しい。

 

おれは道に迷った。何度も同じ道をぐるぐると回り、昨日と明日のことも忘れてしまった。日が沈み、あの癇癪持ちのウグイスも、認知症の山ウサギも、てんかんモグラも、虚言癖の白樺も、チック症のクロヘビもどこかへ消えてしまった。空腹は胃を刺し、渇きは喉を砂漠にした。

 

無花果の赤が、暗闇のなかで笑うように光っている。

 

 

輪廻と減量の物語、そして呪い

いろんなひとに吹聴している話だから、この場でも臆面なく自慢しよう。


おれはかつて、ダイエットを成功させたことがある。約20kgの減量を成した。
最も肥満体だった時期は18~20歳の頃で、身長183cmに対して、体重はちょうど90kg。そこから減量活動を敢行し現在では70(プラマイ2)kgを維持している。BMIの判定に拠るならばかなりど真ん中の標準値だ。

しかし正直なところ、どれくらいの期間を費やして体重を20kg減らしたのかはよく覚えていない。半年かもしれないし、3年かもしれない。確かな記憶を持っていない理由はいくつかあるが、大まかに分類すれば、無計画と無記録に尽きるだろう。要は勢いと気まぐれだけで(比喩的にも実際的にも)突っ走ったり立ち止まったりしていたということだ。

仮におれの体重の推移をグラフ化したならば、間違いなく綺麗な下り坂にはなっていないはずだ。停滞もリバウンドもした。その形状はきっと、何人もの登山者を葬り去った険しい山脈のように、歪で不規則で不安定な起伏が続いているのだろう。雪の帽子でも被せてやりたい。

 

ところで、ダイエットを完遂させるためには、開始のための瞬発的動機と継続のための持久的動機が必要だと思っている。この2つの動機は実は大きく機能が異なり、どちらか一方が欠けているだけでも長期戦を戦い抜けない。それはたとえばスペースシャトルの……。

いや、おれは自慢はするが講釈を垂れるつもりはない。つまり何が言いたかったかというと、おれが2つ目の「継続のための持久的動機」のために、ある物語を採用した。

輪廻転生、である。おれはごく目先の体型のために、死後に想像を巡らせた。おかしな話だ。仮におれたちが「ほんとうに」終わりなき輪廻の中で生と死をくり返す愚かな衆生だとすれば、今世におけるちょっとした体型の差異に拘るなど妄執もいいとこである。解脱に至るにはあと何億回死ねばいいのか。

ともかく、その滑稽さは置いといて、おれは減量継続のためにこんな輪廻の物語を己に組み込んだ。


「おれが今太っているのは、必要以上の食物を肉体に取り入れ過ぎたからである。それはすなわち、生きとし生けるものに無益な殺生をはたらいたことであり、大きな人道的瑕疵だ。このままではおれは来世には餓鬼道か地獄道に堕ちることだろう」


まあ、論理(?)の欠点みたいなところは突こうと思えばいくらでも突ける。だいたい「必要以上の食物」とか「無益な殺生」とかなんて、いったいどこで線を引けばよいのだろう。最低限の人間活動を営めるギリギリを狙って慎ましく精進料理で生ききれば、餓鬼・地獄堕ちを回避できるのだろうか。というかおれは無益な殺生以前に色んなところで既に大量の地獄ポイントを獲得している。たぶん大叫喚地獄(八大地獄の五番目)くらいまで行く。Tポイントみたいに全部吐き出して本でも買いたいよ。

 

さて、物語としてはわりと欠陥のある自己流輪廻ではあったが、実際思いの外ダイエットの推進力になった気がする。

おれの場合、成功を遂げた際の理想我というよりも歪曲した罪の意識で体重を減らしたようなものだったけれど。なので、正直言ってお世辞にも健康的な痩せ方はしなかった。朝っぱらから走ったりもしたけれど、比重としては圧倒的に拒食(痩せ我慢)で身体を細くした。今思えばかなり自分の肉体を痛めつけたものである。

しかしよく考えれば当然の帰着だ。自ら罪を背負えば、それと同じように自らに罰を課す。ある意味では自傷行為だったのだろう。タナトスじゃないけど、もしかしたらそんな欲求もあったかもしれない。

実際振り替えってみれば、過度の低血糖症で指先が震えたり、寝床から起き上がれないほどの頭痛に見回れた時には不思議な充実感に満たされたものだった。精神も不安定になって(ほかの因子もあった)何の文脈もなく突然テーブルをひっくり返したり本棚の蔵書をぶちまけたりしたこともあったけど、心身含めて、あの「アンバランスさ」が楽しかったのかもしれない。危ないヤツだ。

そしてここで急に姿勢を正してまっとうな忠告をする。無茶な減量は絶対に推奨しない。肉体的負担については言うまでもない。それ以上に危惧すべき、道理に背を向けた急激な自己変革は必ず「己の一部」を置き去りにする。そしてその置き去りにされた一部が、時を経たあと、何らかの形に姿を変えて現在の自分に追い付いてくる可能性である。それが何なのかは、誰にも分からない。……と思う。実例は知らない。カンである。

 

現在のおれは一応体重こそ減らしたものの、体型はあまり綺麗に締まってはいない。皮が幾らか余ってしまったせいか、線は細くなっても、胸や腹はかなりダレている。ここから身体を締めるには、たぶんダイエットの次のステップに進む必要がある。

そして、便宜上、道具的に用いたあの輪廻の物語も、未だおれの中で生きている。

実を言うと、電車の中などで豪快に肥っている人を見かける度に「あ、こいつ次は餓鬼道だな」と侮蔑の目を向けてしまう。ハッキリと。美の多様性云々は関係なく、人様の体型にケチをつけるなど下卑た態度だと分かっていてもだ。むしろ他人の体型にケチをつける奴こそを、おれは軽蔑していたのではなかったのか。

 

身体化した物語は、ときに我が身を呪う。

 

 

(余談だけど、今おれが生きているこの世界は、人道よりも修羅道なんじゃないかと思ったりする。わりとマジに)

「ナメんな」っていうと「ナメんな」っていう。こだまでしょうか、いいえ、ケンカです。

「もうそこそこ慣れているつもりだけど、やっぱりどこか至らない点というか、自分の欠点や不得意に気づけないところってあると思うんだよ。だからもしおれにダメな部分があったらさ、そこは遠慮なく言ってほしいんだよね」

 

そう言えるひとと、言えないひとがいる。

仕事の話である。

 

おれはかなり「言えない側」の人間だ。そして、おれに対する直接の指揮・管理権を持っている何某さんも、おれに負けず劣らずの「言えない側」だ。

おれや何某さんに限ったはなしではなく、たぶん大抵の「言えない側」の人々は、自覚に程度の差こそあれ、心のどこかで「相手に(特に自分より立場が低い相手に)ナメられたら終わりだ」という歪んだ矜持を抱えて生きている。いわゆる「育ち」がそうさせたのかもしれないし、あるいはいま現在身を置いている組織の阿諛追従型ヒエラルキーが、そのような態度を暗に強いているのかもしれない。

 

ただどちらにせよ、実際には「相手にナメられることを過剰に恐れている人間」ほどナメられやすいという事実が顕然とあり、おれたちはそれをよく知っている。

そこにはやはり、おれたちが他者を見る際における「人間としての度量」への査定比重がかなり影響しているのだろう。器、というやつである。器がデカい奴ほどリスペクトされるし、一方器が小さい奴ほどナメられ、休憩室とかで陰口を叩かれる。あまりにもありふれたことを書いてしまったが、本質に迫っているからこそ、認識としてありふれているのだと思う。

 

皮肉なはなしだけれど、もし相手にナメられないための最も効果的かつ実際的な態度があるとすれば、それは「相手からナメられる可能性を許容する態度」なのだろう。

何度考えてみても同じ回答に行き着く。自分より年下で立場が低い相手にも謙虚で寛容な態度を一貫できる人間と、その場の下位者に常にマウントを取り続け、少しでも意見を言われようものならヒステリーが如く機嫌を損ねる人間、一体どちらを敬いたいと思うのだろうか?

 

なんか、今日は驚くほど退屈なことを書いてしまった。

というのも、昨日、おれと何某さんとの間で軽い火花が散った。きっと、お互いにナメられたくなかった。悶々とした感情を残してしまったのでここになにか書き連ねようと思ったが、それこそ休憩室のように一方的に悪口をまくし立てるのはフェアではない(そしてクソダサい)ので、こんなふうに一般論をわざわざ持ち出して、なんとか相対性を保とうと試みた。結果、余計に悶々となった。

 

いっそのことなら、気持ちよくケンカしてしまったほうが良かったのかもしれない。ケンカを肯定するつもりはないが、いちど明確に対立を可視化させてしまえば、あとは「落としどころ」を見つけるだけで済む。無論、本人たちの意思と努力次第ではあるが。

いまのようにケンカが未遂状態で停滞すると、ネガティブな感情が密室の中で燻るだけだし、もし何かを謝ろうと思い立っても、簡単に切り出せない。

 

「ケンカはしていない。だから謝ることは出来ない」

 

おれはたった今、この理路を採用した。

 

ナメられることを常に恐れている人間は、このような回路でモノを考えるのである。サンプルにしてくれ。

 

 

ときに「死」と呼ばれる、恒久的不在のはじまりについて

同じ劇団のメンバーのひとりが、稽古中の手持ちぶさたな時間に(だらしない劇団である)、なぜか手紙を書き始めた。中学(高校?)の演劇部で一緒だった友達に送るらしい。

便箋を取り出してペンを走らせた彼女は、当今においてあえて手書きのメッセージを綴ることの趣意を滔々と語っていた。それが全面的に腑に落ちたかどうかはひとまず置くとして、おれもいつかは誰かに手紙を書いてみたいと思っていたフシがあったので、彼女の便箋と誰かのペンをそっと拝借した。

ペンを握り、意識を紙に落とす。そして浮かぶ。ある意味では浮かばない。

おい、おれはいったい誰に手紙など書くのだ?

頭の中で「手紙を書いてみたいかもしれない相手」リストを卒業アルバムの顔写真みたいにずらりと並べ、片っぱしからバツ印をつけていく。そうしたら、誰も残らなかった。こんなものか。

でもひとりだけ、バツ印がつかない人間がいた。奴は何ページも前の、更新を忘れられた過去にいた。

 

 

おれと同じ中学に、Nという男がいた。今は同じ中学どころかこの世にさえいない。クラスは違っていたけれど、お互いによくつるむ連中の顔ぶれがいくらか共通していたので、その間接的なマッチングで接触する機会が多々あった。おいなんだよ、アイツもいんのかよ、聞いてねえぞ、と。

Nはいわゆる「ワル」だった。それは決して「ヤンキー属性も兼ねて勉強もそこそこ出来るバスケ部レギュラーのイケメン」などではなく、ただ単に学校というシステムからほぼドロップアウトしていた「落ちこぼれのワル」でしかなかった。

ここで明確にしておくと、おれはNのことをかなり嫌っていた。向こうはどう思っていたかは知らないが、今さら確める術もない。でもおれは確実に、揺るがなく、Nを嫌っていた。

Nは、人の話を聞かない。約束を守らない。生活がだらしない。忍耐力皆無。口調もバカ丸出し。感情がすぐ暴力に向かう。クズ。

故人に対してここまで悪口を書き連ねるのはフェアではないと、重々承知しているつもりだ。あるいは、死者に対する冒涜だと誰かに言われるかもしれない。でも仕方のないことだ。実際そう思ってたんだし。それに、たとえアンフェアで冒涜的であろうと、誰もそいつの話をしなくなるよりはマシだ。

Nに同調出来る部分なんて見当たらない。それでもあえて共通点のようなものを見出だすならば、お互い混血であり、お互い、母親の国籍や言葉を揶揄されることがあるくらいだった。それがどうしたと言われてしまえば、それまでだが。

おれがNと初めて接触したのは、中一のころの初夏、部活の練習後だった。おれがいた剣道部とNがいた卓球部は同じ時間に同じ体育館を使用していた。剣道部の連中はそこでよく卓球のボールを盗み、竹刀をバットにして野球をしていたのを思い出す。おれを含め部員の大半が地元の道場と掛け持ちしていたのを良いことに、帳尻合わせが如く部活における練習はとことん不真面目だった。

いらない余談であった。

ある日の練習終わり、おれが身支度を整えて帰ろうとしていたところに、Nはいた。そこそこの長身で横幅も広く、いつも何かを睨んでいるような一重まぶたの細い目。でも不思議なことに、彼の存在を包む雰囲気そのものからは、威圧感の類いは感じ取らなかった。

Nは体育館の壁際で、ひとりでだるそうにモップがけをしていた。いや、モップがけをしていたというよりも、モップを握ってその場にただ突っ立っていただけと言える。

他の部員がそそくさと帰宅していく中で呆然と立ち尽くしモップを握っているNの姿は、明らかに集団からつまみ出された人間のそれであった。

思わず近寄ってしまったおれは、何やってんの、と訊ねた。練習中にガム噛んでたら怒られて掃除させられた、とNは答えた。そう、とおれは言った。

それ以上何を話したかは覚えていない。もしかしたら、話してすらいなかったのかもしれない。でもそんなおぼろげな記憶の中でも、Nの表情だけは確かに覚えている。懺悔や反省の色などは毛ほどもない。かといって、開き直ってヘラヘラしているわけでもない。その顔は叱られたワルガキというよりは、自分を運んでくれるかもしれなかった大きなビークルに乗りそこねた人間の、不安と諦めのどちらにも腰を下ろせないカテゴリー不明の表情であった。

その日以来、Nは卓球部に姿を見せなくなった。

 

ひとりの少年がドロップアウトしたり非行に走ってしまうに至るには、きっと一筋縄ではいかない複雑で多様なファクターが絡み合っている。でも、端から見た素行に明らかな変化が生じるのは、大抵「地元に幅を利かせているワル」とつるむようになってからだ。

Nも、その例に漏れなかった。

当時の地元は、その「お区柄」に起因していたのかはよく知らないが、進学先の高校の地域と比べて圧倒的にワルたちとの遭遇頻度が高かった。

要は、ちょくちょく絡まれた。

目の前を通った際に挨拶をしなかったからと因縁をつけられ校門前に呼び出されたり、すれ違い様に「ガン飛ばしてんじゃねえぞ」と突然4、5人に囲まれたりと、心底嫌な思いをさせられた。おれは彼らが嫌いだったし、怖かった。

Nが彼らの直接的な「仲間」になったのかは分からない。でも先に言ったように、つるむ友達のメンツがいくらか被っていた関係で顔を合わせていたおれの目には、Nの風貌は疑いなくワルとして映されていくようになった。眉毛がなくなり、髪を茶色に染め、髪型もときどきオールバックにきめていた。よく覚えていないが、もしかしたらピアスも開けていたかもしれない。当然そんな格好で学校に行けば生活指導の教師にシメられる。よって、学校に現れることも少なくなった。

そして、Nの登校回数と反比例するように、Nに関する噂も耳にするようになった。噂といっても、例えばヤクザの鞄持ちになったとか、孕ませた彼女の腹を蹴って流産させたとか、そんなハードなものではない。Nの噂はいつ聞いても同じような内容だった。

「また喧嘩に負けたってよ」

おれはNに喧嘩をふっかけられたことはなかったが、よくいろんな人間と喧嘩をしていたらしい。そして、その度に負けたらしい。マジの全敗だったのかどうかは今や本人に聞けないが、少なくとも、勝利の号外速報を届けられた記憶はない。でも正直なところ、興味なしの一言に尽きた。

それでもさすがに、他校との抗争めいた集団喧嘩でボコられ病院送りにされたと知った日には、それなりの心配はした。残りの感情のうちの半分は呆気に取られ、もう半分はいつかN自身を待ち受けているかもしれない「考えうる最悪の結末」を予感してしまった。

なぜNは勝てない喧嘩ばかりを繰り返していたのか?

そこまでの推察が出来るほど、おれはNという人間を知らない。たぶん、Nという人間の立体像の表面を、ちょっと親指と人差し指でつまみ取った程度の理解だろう。

もしかしたら、Nだけの持つ不平感や怒りに乗っ取って拳を振り上げていたのかもしれない。何らかの自己破壊的衝動に駆られ、自らを損なうために暴力を用いたのかもしれない。「痛み」こそに生(あるいは性)の実感を見出だし、自我の拡充を求めて血を流したのかもしれない。

でもやっぱり、ルサンチマンだろうがタナトスだろうがリビドーだろうが、いかなる欲求を仮定してみせたところで、Nは暴力的な人間だったのだ。

病院送りの知らせを耳にした日以降、直接的にせよ間接的にせよ、おれがNと関わることはなくなった。

おれとNの思い出?

ねえよ。

「思い出」として語れるほどの輪郭すら保てない、細かく破られた写真の1片くらいの記憶しか残していない。なり行きで一緒に下校したり、ゲーセンに行ったこともあった。でもそこで交わしたコミュニケーションといえば、奴が馴れ馴れしくおれの肩に触れ、一方的に自分の話だけをおれの耳に押し付け、おれひたすら相槌のストックを浪費していただけだった。

 

おれがNと再会をしたのは、高二の春だった。家の最寄りの駅のホームで、やや離れた場所からでかい声でおれの下の名前を呼んだ。Nはドカタの作業着に身を包んでいた。

アイツなりにちゃんと働いてはいるんだな、とおれは思った。この時も何を話していたかは覚えていないが、別れ際に「頑張れよ」とおれに言っていたかもしれない。いや、そんなこと言っていなかったか。

おれが次にNの噂話を聞いたのは、その数週間後、ケータイのネットニュースからだった。奴はまた喧嘩に負けていた。いや、喧嘩ですらない、ただのリンチだ。これ以上の負け方など成し得ず、次のチャンスが永久に訪れない窮極の負けだった。すぐさま中学時代の友人に連絡を取り確認したが、事実だったようだ。おれはずっと黙っていた。

今でも思う。

あれは本当に「死」などと呼べるシロモノだったのだろうか?

中三の頃、ある教師がNに説教をかましていた際、こんな台詞を垂れていた。

「お前さあ、人生15、6年で終わるんじゃねえんだからさあ、もっと先のことも考えて勉強しろよ」

Nの人生は16年で幕を閉じた。

事件を知った同じ16歳のおれは、このNの「恒久的不在のはじまり」をうまく呑み込めなかった。というか、何を呑み込めば良かったのかも分からなかった。いや、そもそも、これは「呑み込む」べきことなのか? 感情は確かに存在していたはずなのに、その感情が、目の前に用意されてもなく、落ちてもいなかった。

 

おれはワイドショーではない。

なので、Nの生涯についての総括的なコメントは出来ない。

しかしおれは総括と嚥下を拒絶したことによって、Nの友達でもないクセにNの恒久的不在にまつわる思議を無期限に引き受けてしまった。

漢語が多くて読みづらいな。でもともかく、「うまく呑み込めなかった」とはそういうことなのではないかと思う。

ここでことわっておくと、Nがおれにとって最初の身近な死だったわけではない。にも関わらず、Nだけはおれの中でいつまでも溶解されない「だま」のように、意識の内壁にべっとりとこびりついてしまった。

なぜおれは「嫌いだった人間の16年で終えた生涯」に何一つリアリティを感じとることが出来なかったのだろうか。それは、Nは「他者に奪われる」かたちで命を失ったからだろうか。それとも、どんなにドロップアウトした人間にも最後には何らかの救いが与えられると、無根拠に信じていたからだろうか。

わからないし、キリがない。

おれはここで長々と書き連ねておきながら、結局何も得ていない。ただひたすら問い、その幾多の問いを未来の自分に放り投げた。

16歳のおれと24歳のおれとでは、一体何が違う?

 

 

手紙には、何も書けなかった。いや、正確には一行だけ書いてどこかへやってしまった。こうやって問うているうちならば、たぶん当面はNは本当の意味での「死」は迎えないのだろう。それが良きことなのか悪しきことなのかは知らない。

けれども今は、そうしておくしかないような気がする。

 

なあ、やっぱりお前はさ、本気で人を傷つけることなんか出来なかったんだよ。そのくせ無駄に粋がって、クソダセえことばっかやって、色んな奴に迷惑かけて嫌われ続けたんだよ。勉強もスポーツもクソほどダメだったお前がさ。あと、お前が「根は良いヤツ」かどうかなんて知ったこっちゃねえ。でもな、お前みたいな奴は、絶対に、本気で人を傷つけることが出来る連中を相手にしちゃいけなかったんだよ。これはケンカの勝ち負けとか、強さ弱さの問題じゃねえ。お前は戦う相手も、その戦い方も最期までとことんズレてたんだよ。もう一回言う。お前は戦う相手も、その戦い方も最期までとことんズレてたんだよ。いい加減分かれ。クソが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地上の愚者、川底の賢者

現在間借りしているアパートから少し浅草方面に歩くと、そこには隅田川が横たわっていて、嬉しい出来事があったときや、やりきれない思いに駆られてしまった日の夜には、川沿いの鉄柵に身体をあずけて水面を眺めたりする。子供の頃もよく川に足を運んで、当時住んでいた団地の近所にのっぺりと流れていた荒川には、愛着と畏れを抱きながら色々な空想に耽っていた。

 

夜の川が好きだ。

 

四六時中何かを喋り続けている都会の中で、夜の川だけは唯一といってもいいくらいに寡黙な存在だと思っている。

夜の川は、決して自ら口を開かない。喧騒を吸い込み、灯をぼんやりと映し返すだけで、あとはじっと、巨大な宇宙生物の表皮みたいな水面をただ細やかに揺らしている。

冷たい鉄柵に、「く」の字のように上半身を乗り出してみる。深さも、水温も、水流の早さもわからない。そこにうごめく黒の内側には、ブラフマンのような、コスモを司る根理が静かに来訪者を待っているのだろうか。

目を閉じて深く息を吸い込み、そのまま川面に飛び込んでみた。水とひとつになって。

 

異形の賢者が、おれに触れた。

 

アホアホ議会制民主主義2019(参院選にあたって)

 

ポリタス』に今回の参院選政見放送の書き起こし記事がアップされていたので、とりあえず全政党分を読んでみた。

投票には今回も行く。そして月並みだけど、色々思った。ここに何か書いてみようかとブログを開いたものの、どの切り口から書こうとしても頭がごちゃごちゃするし、自身の無知や教養の低さにも一々ぶちあたる。足取りが悪い。だから、最終的にはかなり要領の悪い文章になるだろう。

それでも、分からない分からないともたもたしていたら瞬きしてる間に選挙が終わるので、今書けそうなことを半ば強引に書いておこうと思った次第だ。どこかの夜。

 

さて、私たちはよく「当事者意識」ということばを耳にするし、たまに言ったりもする。

……いやあ、初っぱなからえらく観念的じゃないか? なんか違うな。こういう導入になると、現状の筆力ではほぼ確実にガス欠を起こす。もっと個人的な感情に即して、視座を低くしてみよう。つまり、こうなる。

さて、おれは常々思っている。「肚の内がどうであれ、肝心な時に黙って座っているのはクソだせえ」と。えらくマッチョイズムに凝っている物言いかもしれない。今時古いか。でもいい。これはおれからおれへの訓示だ。24時間365日つきまとう訓示。重い。

そしてもうひとつ。これは訓示というよりは自戒だけど、「おれはアホだからすぐ間違えるし、それどころか自分がアホであることにさえにも気付けない」。なぜそう思うかって? それは単におれは自分がアホだと思いたがらないし、間違いも認めたがらないからだよ。それだけ。自分をアホだと思ってなくて、かつ自分の間違いを認めないやつほどアホなんですよ。

 

さあ、そんなおれが投票行動なぞしたらどうなるか。きっと、アホな政党のアホな候補者を選んで、アホな政策を支持して、アホな法案を通すのに加担してしまうのだろうな。ああ、ろくでもない。アホアホマン助けて!

であるならば、アホなおれは、やっぱり投票はおろか政治参加なんてせずに暮らしていったほうが良いのだろうか。アホだから、手取り15万円で従順に長時間働いて、休日にはどっかの広場でスマホの中のポケモン捕まえて、社会保障費が上がれば真っ先にメシ代を切り詰めて、ある日ネットで見かけた「ナントカ改正法が賛成多数で可決されました」なんてニュースには、デカ盛りカップ麺食べながら「野党がだらしないからよ」とかしたり顔で言っているほうが良いのだろうか。アホだから。

うんそうだ。おれアホだからなんか政治っぽいことはみんな他のひとたちに任せよーっと。

と思って周りをキョロキョロ見渡してみたけれど、おれの近くには同じようにキョロキョロ視線をあちこちに向けているひとと、目を伏せて黙っているひとしかいなかった。こうしてわたしたちは「いない人々」となりました。めでたしめでたし。

 

投票率をここまで低くしたのはいったいどこの誰なのだ?

 

おれはアホだから、未だ愚直に議会制民主主義をアテにしている。衆愚政治で上等。おれは衆愚のひとりだ。そして衆愚はアホだから間違える。アホなりに頭ひねってアホなりにデータを検証しても、結局間違ったひとを選んでしまう。

でも、そこからが肝要だ。

たしかに民主主義は間違える。

でも、ひとりひとりが「みんな」の間違いを「わたしたち」の間違いとして引き受け、地道にリカバリーをしてゆける余地を残してくれるのもまた民主主義ではないのか。というか、民主主義というシステムそのものが、はじめからある程度の間違いや逸脱可能性を織り込み済みで制度設計されているのではないのか。

わざわざ太字にしたけれど、おれは独力でこんなこと言えるほど賢くはない。どっかの受け売りである。つまり耳学問

ある建物に、ある共同体が住んでいるとする。ある日、その建物のどこかに欠陥が見つかった。その時「わたしがその管理運営に少しでも関与しているか」という意識があるか否かで、共同体の構成員たちの選択する態度は大きく異なる。そして、その建物自体の寿命に与える影響も大きく異なる。

……あれ、たとえが上手くなかったか。なんか分かんなくなった。やっぱおれアホだわ。要はこう言いたかった。

実際の建物であれば、管理会社に電話して「おいどうにかしろや」とがなり立てれば業者のおじさんがやってきて「はいはい、ああ配水管が古くなっちゃってますね。別の業者に明日修理に来させますよ。ひとまず応急処置はしておきます」と、解決までのあらゆる用意をテキパキ遂行してくれるかもしれない。

でも、実際におれたちが暮らしている社会は違う。とりあえずいま民意の代表ってことになっている為政者というのは、あくまでもおれたちの代弁者でしかない。電話すればすぐ駆けつけてくれる業者のおじさんでもないし、ましては絡まりに絡まった糸を一挙に解きほぐしてくれる全能のデウス・エクス・マキナでもない。為政者に対抗する為政者だって同じだ。代弁者に何も言わなければ、そいつはただの空のコップ。

白馬の王子様なんか待ってんなよ。

ヒーローっぽく登場したやつだって大抵おれたちと大差ないアホアホマンでしかないんだから、責任を丸投げしてたらおかしなルールをつくられてしまうかもしれない。おれたちの金で。

おれたちの国と社会がおれたちの金で回っている以上、おれたちは絶対に当事者である事実からは逃れられない。それは、面倒で煩わしいことなのだろうか? 厄介で難儀なことなのだろうか? 

そうだろうな。でも、おれはそれで構わないと思っている。どのみち間違える可能性を孕んでいるアホな選択をするのなら、他人よりおれが決めるほうが5億倍マシだ。他人の間違いの尻拭いをするのは嫌だけど、おれのケツはおれが拭く。共同体の構成員みんなが「みんなごと」を「他人ごと」ではなく「わたしたちごと」として引き受けて欲しい、そう願って先人たちは血を流して民主主義を選んだのではないか。

ちょっと調べれば分かることだけれど、いまおれたちの足元を支えている「制度」や「権利」といったものは、それが大きく根本的であるほど獲得されるまでに多くの血が流されてきた(それこそ民主制や人権など)。

血、がだ。

ここでおれが投票に行く理由を(誰にも訊かれてないのに)答えるならば、それは「ある種の大人たちに褒められるから」といった外発的動機でも「投票権は使わないともったいないから」といった損得勘定以上に、社会の成員としての「過去への想像力の涵養」を自らに課しているからである。

……という第二弾のセルフ訓示。両肩が重い。

とにかく、こう思う。なぜ、おれたちがファミマでサラダチキンを買うのと同じくらいの手間でお気軽に投票ができる現行制度のために、かつて我が身の血を流した人々がいたのかと。

おれにはあんまり難しい本は読めない。もの覚えだって良くないし、教養も低い(大学出てないし)。今だって、不意打ち的に衆議院参議院の違いは何かと問われれば、確実にしどろもどろになる。ついでに体裁の整った文章も書けない。中学の頃から自覚してる。

でも。

でも、想像と体験だけはできる。

おれが何かを考えたり知ったりするためには、アクションという手続きを踏むしかない。幸か不幸か、根本的に机の上の人間ではないのかもしれない。

だから民主主義について考えようと思ったら、民主主義に参加するしか手がない。先人たちの血の色を知るために。

 

そして衆愚をレペゼンし、シューズを履いて街に出る。

 

民主主義 (角川ソフィア文庫)

民主主義 (角川ソフィア文庫)

 

 


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