管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

ときに「死」と呼ばれる、恒久的不在のはじまりについて

同じ劇団のメンバーのひとりが、稽古中の手持ちぶさたな時間に(だらしない劇団である)、なぜか手紙を書き始めた。中学(高校?)の演劇部で一緒だった友達に送るらしい。

便箋を取り出してペンを走らせた彼女は、当今においてあえて手書きのメッセージを綴ることの趣意を滔々と語っていた。それが全面的に腑に落ちたかどうかはひとまず置くとして、おれもいつかは誰かに手紙を書いてみたいと思っていたフシがあったので、彼女の便箋と誰かのペンをそっと拝借した。

ペンを握り、意識を紙に落とす。そして浮かぶ。ある意味では浮かばない。

おい、おれはいったい誰に手紙など書くのだ?

頭の中で「手紙を書いてみたいかもしれない相手」リストを卒業アルバムの顔写真みたいにずらりと並べ、片っぱしからバツ印をつけていく。そうしたら、誰も残らなかった。こんなものか。

でもひとりだけ、バツ印がつかない人間がいた。奴は何ページも前の、更新を忘れられた過去にいた。

 

 

おれと同じ中学に、Nという男がいた。今は同じ中学どころかこの世にさえいない。クラスは違っていたけれど、お互いによくつるむ連中の顔ぶれがいくらか共通していたので、その間接的なマッチングで接触する機会が多々あった。おいなんだよ、アイツもいんのかよ、聞いてねえぞ、と。

Nはいわゆる「ワル」だった。それは決して「ヤンキー属性も兼ねて勉強もそこそこ出来るバスケ部レギュラーのイケメン」などではなく、ただ単に学校というシステムからほぼドロップアウトしていた「落ちこぼれのワル」でしかなかった。

ここで明確にしておくと、おれはNのことをかなり嫌っていた。向こうはどう思っていたかは知らないが、今さら確める術もない。でもおれは確実に、揺るがなく、Nを嫌っていた。

Nは、人の話を聞かない。約束を守らない。生活がだらしない。忍耐力皆無。口調もバカ丸出し。感情がすぐ暴力に向かう。クズ。

故人に対してここまで悪口を書き連ねるのはフェアではないと、重々承知しているつもりだ。あるいは、死者に対する冒涜だと誰かに言われるかもしれない。でも仕方のないことだ。実際そう思ってたんだし。それに、たとえアンフェアで冒涜的であろうと、誰もそいつの話をしなくなるよりはマシだ。

Nに同調出来る部分なんて見当たらない。それでもあえて共通点のようなものを見出だすならば、お互い混血であり、お互い、母親の国籍や言葉を揶揄されることがあるくらいだった。それがどうしたと言われてしまえば、それまでだが。

おれがNと初めて接触したのは、中一のころの初夏、部活の練習後だった。おれがいた剣道部とNがいた卓球部は同じ時間に同じ体育館を使用していた。剣道部の連中はそこでよく卓球のボールを盗み、竹刀をバットにして野球をしていたのを思い出す。おれを含め部員の大半が地元の道場と掛け持ちしていたのを良いことに、帳尻合わせが如く部活における練習はとことん不真面目だった。

いらない余談であった。

ある日の練習終わり、おれが身支度を整えて帰ろうとしていたところに、Nはいた。そこそこの長身で横幅も広く、いつも何かを睨んでいるような一重まぶたの細い目。でも不思議なことに、彼の存在を包む雰囲気そのものからは、威圧感の類いは感じ取らなかった。

Nは体育館の壁際で、ひとりでだるそうにモップがけをしていた。いや、モップがけをしていたというよりも、モップを握ってその場にただ突っ立っていただけと言える。

他の部員がそそくさと帰宅していく中で呆然と立ち尽くしモップを握っているNの姿は、明らかに集団からつまみ出された人間のそれであった。

思わず近寄ってしまったおれは、何やってんの、と訊ねた。練習中にガム噛んでたら怒られて掃除させられた、とNは答えた。そう、とおれは言った。

それ以上何を話したかは覚えていない。もしかしたら、話してすらいなかったのかもしれない。でもそんなおぼろげな記憶の中でも、Nの表情だけは確かに覚えている。懺悔や反省の色などは毛ほどもない。かといって、開き直ってヘラヘラしているわけでもない。その顔は叱られたワルガキというよりは、自分を運んでくれるかもしれなかった大きなビークルに乗りそこねた人間の、不安と諦めのどちらにも腰を下ろせないカテゴリー不明の表情であった。

その日以来、Nは卓球部に姿を見せなくなった。

 

ひとりの少年がドロップアウトしたり非行に走ってしまうに至るには、きっと一筋縄ではいかない複雑で多様なファクターが絡み合っている。でも、端から見た素行に明らかな変化が生じるのは、大抵「地元に幅を利かせているワル」とつるむようになってからだ。

Nも、その例に漏れなかった。

当時の地元は、その「お区柄」に起因していたのかはよく知らないが、進学先の高校の地域と比べて圧倒的にワルたちとの遭遇頻度が高かった。

要は、ちょくちょく絡まれた。

目の前を通った際に挨拶をしなかったからと因縁をつけられ校門前に呼び出されたり、すれ違い様に「ガン飛ばしてんじゃねえぞ」と突然4、5人に囲まれたりと、心底嫌な思いをさせられた。おれは彼らが嫌いだったし、怖かった。

Nが彼らの直接的な「仲間」になったのかは分からない。でも先に言ったように、つるむ友達のメンツがいくらか被っていた関係で顔を合わせていたおれの目には、Nの風貌は疑いなくワルとして映されていくようになった。眉毛がなくなり、髪を茶色に染め、髪型もときどきオールバックにきめていた。よく覚えていないが、もしかしたらピアスも開けていたかもしれない。当然そんな格好で学校に行けば生活指導の教師にシメられる。よって、学校に現れることも少なくなった。

そして、Nの登校回数と反比例するように、Nに関する噂も耳にするようになった。噂といっても、例えばヤクザの鞄持ちになったとか、孕ませた彼女の腹を蹴って流産させたとか、そんなハードなものではない。Nの噂はいつ聞いても同じような内容だった。

「また喧嘩に負けたってよ」

おれはNに喧嘩をふっかけられたことはなかったが、よくいろんな人間と喧嘩をしていたらしい。そして、その度に負けたらしい。マジの全敗だったのかどうかは今や本人に聞けないが、少なくとも、勝利の号外速報を届けられた記憶はない。でも正直なところ、興味なしの一言に尽きた。

それでもさすがに、他校との抗争めいた集団喧嘩でボコられ病院送りにされたと知った日には、それなりの心配はした。残りの感情のうちの半分は呆気に取られ、もう半分はいつかN自身を待ち受けているかもしれない「考えうる最悪の結末」を予感してしまった。

なぜNは勝てない喧嘩ばかりを繰り返していたのか?

そこまでの推察が出来るほど、おれはNという人間を知らない。たぶん、Nという人間の立体像の表面を、ちょっと親指と人差し指でつまみ取った程度の理解だろう。

もしかしたら、Nだけの持つ不平感や怒りに乗っ取って拳を振り上げていたのかもしれない。何らかの自己破壊的衝動に駆られ、自らを損なうために暴力を用いたのかもしれない。「痛み」こそに生(あるいは性)の実感を見出だし、自我の拡充を求めて血を流したのかもしれない。

でもやっぱり、ルサンチマンだろうがタナトスだろうがリビドーだろうが、いかなる欲求を仮定してみせたところで、Nは暴力的な人間だったのだ。

病院送りの知らせを耳にした日以降、直接的にせよ間接的にせよ、おれがNと関わることはなくなった。

おれとNの思い出?

ねえよ。

「思い出」として語れるほどの輪郭すら保てない、細かく破られた写真の1片くらいの記憶しか残していない。なり行きで一緒に下校したり、ゲーセンに行ったこともあった。でもそこで交わしたコミュニケーションといえば、奴が馴れ馴れしくおれの肩に触れ、一方的に自分の話だけをおれの耳に押し付け、おれひたすら相槌のストックを浪費していただけだった。

 

おれがNと再会をしたのは、高二の春だった。家の最寄りの駅のホームで、やや離れた場所からでかい声でおれの下の名前を呼んだ。Nはドカタの作業着に身を包んでいた。

アイツなりにちゃんと働いてはいるんだな、とおれは思った。この時も何を話していたかは覚えていないが、別れ際に「頑張れよ」とおれに言っていたかもしれない。いや、そんなこと言っていなかったか。

おれが次にNの噂話を聞いたのは、その数週間後、ケータイのネットニュースからだった。奴はまた喧嘩に負けていた。いや、喧嘩ですらない、ただのリンチだ。これ以上の負け方など成し得ず、次のチャンスが永久に訪れない窮極の負けだった。すぐさま中学時代の友人に連絡を取り確認したが、事実だったようだ。おれはずっと黙っていた。

今でも思う。

あれは本当に「死」などと呼べるシロモノだったのだろうか?

中三の頃、ある教師がNに説教をかましていた際、こんな台詞を垂れていた。

「お前さあ、人生15、6年で終わるんじゃねえんだからさあ、もっと先のことも考えて勉強しろよ」

Nの人生は16年で幕を閉じた。

事件を知った同じ16歳のおれは、このNの「恒久的不在のはじまり」をうまく呑み込めなかった。というか、何を呑み込めば良かったのかも分からなかった。いや、そもそも、これは「呑み込む」べきことなのか? 感情は確かに存在していたはずなのに、その感情が、目の前に用意されてもなく、落ちてもいなかった。

 

おれはワイドショーではない。

なので、Nの生涯についての総括的なコメントは出来ない。

しかしおれは総括と嚥下を拒絶したことによって、Nの友達でもないクセにNの恒久的不在にまつわる思議を無期限に引き受けてしまった。

漢語が多くて読みづらいな。でもともかく、「うまく呑み込めなかった」とはそういうことなのではないかと思う。

ここでことわっておくと、Nがおれにとって最初の身近な死だったわけではない。にも関わらず、Nだけはおれの中でいつまでも溶解されない「だま」のように、意識の内壁にべっとりとこびりついてしまった。

なぜおれは「嫌いだった人間の16年で終えた生涯」に何一つリアリティを感じとることが出来なかったのだろうか。それは、Nは「他者に奪われる」かたちで命を失ったからだろうか。それとも、どんなにドロップアウトした人間にも最後には何らかの救いが与えられると、無根拠に信じていたからだろうか。

わからないし、キリがない。

おれはここで長々と書き連ねておきながら、結局何も得ていない。ただひたすら問い、その幾多の問いを未来の自分に放り投げた。

16歳のおれと24歳のおれとでは、一体何が違う?

 

 

手紙には、何も書けなかった。いや、正確には一行だけ書いてどこかへやってしまった。こうやって問うているうちならば、たぶん当面はNは本当の意味での「死」は迎えないのだろう。それが良きことなのか悪しきことなのかは知らない。

けれども今は、そうしておくしかないような気がする。

 

なあ、やっぱりお前はさ、本気で人を傷つけることなんか出来なかったんだよ。そのくせ無駄に粋がって、クソダセえことばっかやって、色んな奴に迷惑かけて嫌われ続けたんだよ。勉強もスポーツもクソほどダメだったお前がさ。あと、お前が「根は良いヤツ」かどうかなんて知ったこっちゃねえ。でもな、お前みたいな奴は、絶対に、本気で人を傷つけることが出来る連中を相手にしちゃいけなかったんだよ。これはケンカの勝ち負けとか、強さ弱さの問題じゃねえ。お前は戦う相手も、その戦い方も最期までとことんズレてたんだよ。もう一回言う。お前は戦う相手も、その戦い方も最期までとことんズレてたんだよ。いい加減分かれ。クソが。