管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

輪廻と減量の物語、そして呪い

いろんなひとに吹聴している話だから、この場でも臆面なく自慢しよう。


おれはかつて、ダイエットを成功させたことがある。約20kgの減量を成した。
最も肥満体だった時期は18~20歳の頃で、身長183cmに対して、体重はちょうど90kg。そこから減量活動を敢行し現在では70(プラマイ2)kgを維持している。BMIの判定に拠るならばかなりど真ん中の標準値だ。

しかし正直なところ、どれくらいの期間を費やして体重を20kg減らしたのかはよく覚えていない。半年かもしれないし、3年かもしれない。確かな記憶を持っていない理由はいくつかあるが、大まかに分類すれば、無計画と無記録に尽きるだろう。要は勢いと気まぐれだけで(比喩的にも実際的にも)突っ走ったり立ち止まったりしていたということだ。

仮におれの体重の推移をグラフ化したならば、間違いなく綺麗な下り坂にはなっていないはずだ。停滞もリバウンドもした。その形状はきっと、何人もの登山者を葬り去った険しい山脈のように、歪で不規則で不安定な起伏が続いているのだろう。雪の帽子でも被せてやりたい。

 

ところで、ダイエットを完遂させるためには、開始のための瞬発的動機と継続のための持久的動機が必要だと思っている。この2つの動機は実は大きく機能が異なり、どちらか一方が欠けているだけでも長期戦を戦い抜けない。それはたとえばスペースシャトルの……。

いや、おれは自慢はするが講釈を垂れるつもりはない。つまり何が言いたかったかというと、おれが2つ目の「継続のための持久的動機」のために、ある物語を採用した。

輪廻転生、である。おれはごく目先の体型のために、死後に想像を巡らせた。おかしな話だ。仮におれたちが「ほんとうに」終わりなき輪廻の中で生と死をくり返す愚かな衆生だとすれば、今世におけるちょっとした体型の差異に拘るなど妄執もいいとこである。解脱に至るにはあと何億回死ねばいいのか。

ともかく、その滑稽さは置いといて、おれは減量継続のためにこんな輪廻の物語を己に組み込んだ。


「おれが今太っているのは、必要以上の食物を肉体に取り入れ過ぎたからである。それはすなわち、生きとし生けるものに無益な殺生をはたらいたことであり、大きな人道的瑕疵だ。このままではおれは来世には餓鬼道か地獄道に堕ちることだろう」


まあ、論理(?)の欠点みたいなところは突こうと思えばいくらでも突ける。だいたい「必要以上の食物」とか「無益な殺生」とかなんて、いったいどこで線を引けばよいのだろう。最低限の人間活動を営めるギリギリを狙って慎ましく精進料理で生ききれば、餓鬼・地獄堕ちを回避できるのだろうか。というかおれは無益な殺生以前に色んなところで既に大量の地獄ポイントを獲得している。たぶん大叫喚地獄(八大地獄の五番目)くらいまで行く。Tポイントみたいに全部吐き出して本でも買いたいよ。

 

さて、物語としてはわりと欠陥のある自己流輪廻ではあったが、実際思いの外ダイエットの推進力になった気がする。

おれの場合、成功を遂げた際の理想我というよりも歪曲した罪の意識で体重を減らしたようなものだったけれど。なので、正直言ってお世辞にも健康的な痩せ方はしなかった。朝っぱらから走ったりもしたけれど、比重としては圧倒的に拒食(痩せ我慢)で身体を細くした。今思えばかなり自分の肉体を痛めつけたものである。

しかしよく考えれば当然の帰着だ。自ら罪を背負えば、それと同じように自らに罰を課す。ある意味では自傷行為だったのだろう。タナトスじゃないけど、もしかしたらそんな欲求もあったかもしれない。

実際振り替えってみれば、過度の低血糖症で指先が震えたり、寝床から起き上がれないほどの頭痛に見回れた時には不思議な充実感に満たされたものだった。精神も不安定になって(ほかの因子もあった)何の文脈もなく突然テーブルをひっくり返したり本棚の蔵書をぶちまけたりしたこともあったけど、心身含めて、あの「アンバランスさ」が楽しかったのかもしれない。危ないヤツだ。

そしてここで急に姿勢を正してまっとうな忠告をする。無茶な減量は絶対に推奨しない。肉体的負担については言うまでもない。それ以上に危惧すべき、道理に背を向けた急激な自己変革は必ず「己の一部」を置き去りにする。そしてその置き去りにされた一部が、時を経たあと、何らかの形に姿を変えて現在の自分に追い付いてくる可能性である。それが何なのかは、誰にも分からない。……と思う。実例は知らない。カンである。

 

現在のおれは一応体重こそ減らしたものの、体型はあまり綺麗に締まってはいない。皮が幾らか余ってしまったせいか、線は細くなっても、胸や腹はかなりダレている。ここから身体を締めるには、たぶんダイエットの次のステップに進む必要がある。

そして、便宜上、道具的に用いたあの輪廻の物語も、未だおれの中で生きている。

実を言うと、電車の中などで豪快に肥っている人を見かける度に「あ、こいつ次は餓鬼道だな」と侮蔑の目を向けてしまう。ハッキリと。美の多様性云々は関係なく、人様の体型にケチをつけるなど下卑た態度だと分かっていてもだ。むしろ他人の体型にケチをつける奴こそを、おれは軽蔑していたのではなかったのか。

 

身体化した物語は、ときに我が身を呪う。

 

 

(余談だけど、今おれが生きているこの世界は、人道よりも修羅道なんじゃないかと思ったりする。わりとマジに)