管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

物語にしたかった昨日たち

ビールを飲んでいたら突然回文を作ってみたい欲求に駆られ、引き出しから汚いメモ帳を取り出した。ページを開くと、警備員時代に書き記したアレコレがミミズの字で残されており、つい目に留まってしまった。引っ越しのための荷物整理をしていたら、長らく存在を忘れていた古いアルバムを見つけ眺めてしまった時みたいに。

 

 

かつて、夜勤の施設警備のバイトをしていた時期があった。

 

都内一等地の高級マンションと下町地区の知的障害者支援施設が主な現場だったのだが、それぞれにユニークな事件(迷い猫の捕獲とか、入寮者の脱走とか)はあれど、基本的にはあくびさえも枯渇するくらいに暇な仕事だった。

 

そんな日々だったので、勤務中は大抵、読書、居眠り、ゲーム、動画視聴、ネットサーフィン、筋トレ、つまみ食い、散歩……と、夜勤のため人間と遭遇することがほぼ皆無なのをいいことに、結構大胆にサボりに興じた。こんなに遊んでてても給料もらえるなんて、我ながらまことにオイシイ日々だったと思う(但しごく限定的な文脈でなら)。

 

とはいえ、施設内には生意気にも監視カメラが多数設置されており、その中で上記のサボりを敢行するにはどうしても相応のリスクが生じた。

 

では、リスクを極力回避し、且つ有意義に時間を浪費できる(有意義な浪費とは?)サボりは何なのかと、無い頭を捻ってみたところ、必然的に行き着いた答えが「手書きで何かを記入する」行為であった。つまり、広義における日記というわけだ。

 

これなら、警備書類や報告書を書くのと遠目では違いが分からないので、監視カメラ下でも堂々と行うことができる。

 

書くこと自体は何ら苦ではないし飽きない性分だ。レポート用紙やメモ帳を引っ張り出して、ぼんやり考えたことをささっと書きなぐったり、昨晩見た夢をなるべく仔細に文章化してみたり、ペン字の練習をしたり、般若心経を写経してみたり、心底(本当に心底)つまらない短編小説を書いてみたりと、それなりに楽しい時間を過ごしていたと思う。

 

やっぱり、人間に退屈は欠かせない。

 

そして今、ちょっとした雑誌くらいの厚さになった当時の雑文たちを読み返してみると、卒業アルバムの文集を眺めてるような気分になる。


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批評的な目で読めば文章として限りなくクソである一方、なんとなく、過去の自分からのメッセージとして感ぜられる気もした。パラパラと紙をめくって「へえそうなんだ、知らねえけど」とか「いや、それはおかしいぜ」とか「相変わらずキモいな」とかいって冷笑するのはまあまあ面白い。

 

対話、とまで大仰な意味付けはしないが、過去の自分の断片がデータではなく実体として手元にあると、何となく大切にしたいと思える。大切にすべき価値など無くとも。

 

過去は、永遠に滑稽かつ頓馬で、いつ振り返ってみても悔恨とイフで満ちている。起きてしまったことを悔み、起きたかもしれなかったことを何度も練習する。ユーミンは「過ぎてゆくきのうを物語に変える」と歌っていた。

 

もしかしたらおれは、物語が欲しかったのかもしれない。

 

そうして、自分で自分の物語を笑ってなんかみせる。誰かに笑われるのが怖いから。

 

 

 

過去とする死、記すとこか。

(かことするししるすとこか)

 

お粗末。