管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

ベトナム人と夢見る洗い場

冷凍ピザの工場で働いている。

 

今日、その工場の洗い場で、鼻歌を歌いながら仕事をしていた。モップスの『たどりついたらいつも雨ふり』だ。鼻歌に意識をとらわれ過ぎて、うっかり容器に入った水を自分にぶっかけてしまったが、特に苛立ちもしなかったし、隣にいたベトナム人の女の子も笑ってくれた。

 

 

ああここもやっぱりどしゃ降りさ

 

 

うちの工場では、鼻歌がよく聞こえる。歌っているのは決まって外国人たちだ。うるさい社員の目が届かなくなると、すぐにメロディーが聞こえてくる。彼らは本当によく歌う。自分の国の歌も、日本の歌も歌う。仕事中だというのに、彼らの心はゆったりと温泉に浸かっているのではなかろうか。

 

当たり前の話だけれど、鼻歌は楽しい。単調な作業が苦でなくなるし、同僚への愛想も良くなる。それに、徹底した非人間的効率主義への抗体にもなる。機械的動作の強要に対する唯一にして最後の抵抗。人間の仕事がどれだけオートメーション化されようとも、機械に鼻歌は歌えまい。

 

そこで、ふと思う。

 

鼻歌を歌いながら仕事をしない人間の身体は、すでに機械と化しているのではないか?

 

試しに、工場で一番効率的に仕事をこなせる人の腕を思いっきり引っ張ってみようか。そしたら、腕がちぎれて、赤やら青やらの配線がぶちぶちと剥き出しになるかもしれない。するとそいつは「そうか。見てしまったか。でも怖がることはないよ。もうじきおまえも我々の仲間になるのだからね」とか言って、他の機械人間と共におれを取り囲むのだ。そう、既にこの工場の殆んどの人間が機械化されていた。

 

おれは窮地に立たさせるが、その時、洗い場のベトナム人の女の子に助けられる。彼女が鼻歌を歌うと、機械人間たちはたちまち悶え苦しみ、後退りしていった。彼女は知っていた。機械人間の身体に対して、鼻歌から出る特殊な波長が有効なダメージを与えられるということを。

 

なんとか命からがら逃げおおせたおれたちは、まだ機械化されていない人々と共にレジスタンスを結成する。鼻歌をただ一つの武器として。

 

こうして、おれたち純人間連合による鼻歌独立戦争が始まった。

 


ザ・モップス 「たどり着いたらいつも雨降り」 YouTube - YouTube