管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

わからないのはわかったからさ、とりあえずおれを赤ん坊にしてくれ

なぁにが戦争反対じゃ。毎朝毎朝あの殺気漂う満員電車に性懲りもなく乗り込んでる時点で既にもう戦争に行ってるんだよあんたらは。ほんとうに戦争したくないのなら、いま一度己の「生きる」をたまねぎ剥きながら問い直してみやがれよ。

どうもはじめまして。このたびはブログというものを開設してみました。わからないことだらけだけど、いろんなことを精いっぱい書いてみようとおもいます。こんごともよろしくおねがいいたします。

 

おととい工場で、休憩に入ろうと思い帽子を脱いだらいつも以上に髪が乱れていた。すると、たまたまおれの近くを通りかかった先輩のおねえさん(どう見ても元ヤン)が、「髪めっちゃピンピンしてんじゃーん」とか言っておれの頭をわしゃわしゃと撫でた。

あっ、きもちいい。退行する。

おれは「へへへ」とか言っちゃった。

 

臆面もなく言ってみせるけれど、おれは職場の女性陣にそこそこ可愛がってもらっている。みんなやさしい。おっと、そんなのお前の思い込みだろとという反駁はここでは意味を為さないぞ。「可愛がり」の授受に立証も反証もないのだ。おれがひとたび「可愛がってもらっている」と実感してしまえばあとはもう無敵なのである。

一方同じ「可愛がり」でも、男のそれはクソにまみれている。大概は、ただでさえ粗悪なテレビ芸的「イジり」をさらに粗悪に模造した、もう、なんというか「俺が面白くイジったんだから相応の面白さでお前も何か返せ」と言わんばかりのひな壇的暴力でしかないのだ。結局は「こちらを満足させよ」というメタ・メッセージに収斂する。運動部の先輩が一年坊主に自分の肩を揉ませるのと、いったい何が違うというのでしょうか。練習見てやってんだから肩揉めよ。

だから先の髪の話に当てはめるならば、おれの頭を見るなり「おいおい仕事サボってパーマかけに行ってたのかよ余裕あんなあお前」とか言われるのだろう。想像するだけでげんなりする。しかもおれはこういうときに相手を満足させる返しをしないもんだから、彼らの文脈における「つまらないやつ」の烙印を押されてそのコミュニティを生きることになるのだ。前の職場が実際そうだったのだけれど、おれは男社会の人間にあまり好かれない。

 

だからおれは、誰かを可愛がろうと思ったらなるべく素直にやさしくしようと思っている。たとえば無条件に重い荷物持ってあげるとか。でも、男の先輩が男の後輩の重い荷物を無条件に持ってあげるというのは、どうもヘンらしい。されたほうも明らかにぎこちなくしている。最近工場に入ってきた高校生のバイトくんたち(おれもバイトくんです)を見ていると、やっぱり彼らもイジられて可愛がられるほうが心地よいみたいだ。

男のひとはわからない。女のひとはもっとわからないけど。

まあとにかく男でも女でもそれ以外でもいいから、おれはいつだって素直に可愛がりたいし可愛がられたい。

 

聞けよ。おれは、おれを素直に可愛がってくれるひとがいない世界で生きるつもりはないからな。とりあえず黙っておれを赤ん坊にしてくれ。おれが泣いたときにはふつうに抱きしめて、ふつうに頭を撫でてくれ。あやしてくれ。