管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

病人が川沿いを歩いたって青春の殺人者にはなれない

週末から風邪をひいて、休日は床に伏していた。月曜日の今はわりに調子が良い。当然だろう。白血球に気長な仕事をさせず、おせっかいなキャッチコピーの市販薬で症状を黙らせたのだから。

その甲斐(?)があってか、おれの身体は風邪の斥候隊だけを排除しただけで丘に旗を立てようとしている。まだどこかに本隊が潜伏し、虎視眈々と戦力を蓄えているかもしれないのに。

パブロンで風邪を誤魔化すとは、こういうことである。たとえがわかりにくかったが、言い直す気はない。

 

ところで、今日は仕事を休んで近所の川沿いを散歩した。出勤しようと思えば余裕でできた。でも休んだ。職場には適当に理由を伝えた。おれはぬるま湯の貧乏をおぶって生きる年収250万以下の男。でも、仕事を休むための動機はカーペットの裏地からでも引っ張り出してくる男。ちなみにこれといった夢はない。

 

できることなら、貧しても鈍したくはない。

 

川の流れより少しだけゆっくりと歩きながら、ゴダイゴの『新創世紀』を聴いた。やっぱりいい。特に2曲目の『イエロー・センター・ライン』。歌詞の主人公はドライバーであり、霧の深い夜の山道を、黄色いセンターラインだけを頼りに走っている。疲労で瞼は重くなり、ハンドルの手さばきが時おり危うくなる。眼前は依然として暗い。信じられるのは、この一本の黄色いセンターラインだけだ。今はとにかく目を凝らして、このセンターラインを見失わないようにするしかない。

 

僕は一体、いつになったらこの山道を下りきることができるのだろう?

 

『イエロー・センター・ライン』を初めて聴いたのは、映画『青春の殺人者』の劇中だった。記憶は曖昧だけれど、確か、父と母を殺し家から逃走した主人公(水谷豊)が、夜の街の雑踏をかき分けながら歩いているようなシーンだった。歌が流れた途端、そのポップでキャッチーな曲調に素直に胸を掴まれたが、後に曲を聴き直し、歌詞を読んだ時には深くて重い息が漏れた。まるで遅効性の毒が体中に回っていくのを自分自身で確かめているような感覚だった。呼吸が詰まりそうなくらいに不安感を活写した歌詞を、こうも爽やかに、そして滑らかに歌ってみせたのか。このタケカワユキヒデとかいう男は。そして、この歌は劇中の水谷豊そのものだった。

音楽に限らず、手持ちのモノサシで間に合わない作品に触れた瞬間というのは、総じてこのような体験をする。

 

そんなことをぼんやり考えながら、足を止めて、川の流れに目を落とした。おれにはセンターラインは見えなかった。水谷豊も気取れない。

思い出されたように、混ざりものの多い咳が湧き上がってきた。

 

新創世紀

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青春の殺人者 [DVD]

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この世界では誰かが振られると、大瀧詠一は死に、三浦大輔は打たれる

ある女の子をデートに誘おうとしたら、秒速でそっぽを向かれてしまった。最初の一回くらいは多少気に入らなくても付き合ってくれたっていいじゃないか。なんだよ。

仕方がないので、溜め息を吐きながら池袋のガールズバーで呑んだ。大丈夫、失恋までは少なくとも地球と木星ほどの距離はあったはずだ。ここで腐るな。

お店の子たちとの会話は、こちらが謝ってしまうくらいに気まずくて退屈だった。サービスのカラオケで歌った『夢で逢えたら』も、誰一人として知らなかった。大瀧詠一が二度死んだ。彼女らの興味は、おれの顔が誰某に似てるとか似てないとかそんなことくらいしかなかった。ちなみに言うまでもなく大瀧詠一ではない。

 

 あの、もう時間なんですけど、もし××さんがここで延長して私を指名してくれたら、もっと劇団の話とか聞きたいなって思うんですよ……ほら、私も役者目指してたから……あ、いえ、もちろん無理しなくてもいいんですけど、そうしてくれたらすごく嬉しいなって……あ、わかりました、いえ、全然大丈夫ですよ、またお願いしますね!

 

『SUPERワールドスタジアム'96』。

バーから3分も歩かない距離にあるゲーセンの地下で、その筐体は静かに液晶を光らせながら誰かを待っていた。

100円玉を入れて、チームを選択する。

おれが操作するのは横浜ベイスターズ

対戦相手は阪神タイガース

(セ・リーグに栄光あれ)

おれは、当時プロ4年目か5年目の三浦大輔を先発投手に据えた。

コンピューターの阪神は、おれの弱さとキモさとぎこちなさに同情なんかしない。

横浜の攻撃は10球でアウトを三つ埋め、阪神の攻撃は打者が一巡半した。

おれは三浦をマウンドから降ろさなかった。どれだけ痛打を浴び、スコアボードの数字が積み重なろうとも投げさせ続けた。そしてまた打たれる。

おれはゲームの中のデフォルメされた三浦大輔を、贖罪の山羊にした。高校時代、夢の中で三浦からピッチングを教わったのに。ストレートを投げる時は、人差し指と中指をセオリーよりもほんの少しだけ広く引っかけて、硬球ではなく鉄球をイメージしながらリリースすればいいと言ってくれたのに。

夢の世界を、バーチャルの世界で裏切る。

夢と現実は互いを包摂し合うけれど、バーチャルは夢も現実も一方的に取り込み、奪い去る。

夢は両腕から逃げ去り、現実はままならないけれど、バーチャルは思い通りを見せかける。

夢と現実のほうが、よっぽど優しい。

けど。

 

 

筐体を離れたおれは、一体どこに行けばよかったのだろう?

 

FLAPPER

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晩夏とハイライト

 

彼のシャツの胸ポケットからは、いつもハイライトが頭をのぞかせていた

 

でも彼がハイライトを吸うのは、火をつける最初の一口だけ

 

あとはずっと、指で挟んでいるか、灰皿のくぼみにそっと寝かせている

 

ねえ、どうしていつも火をつけるだけで吸わないわけ?

 

とうとう訊いてしまった、九月のはじまりの、午後二時半の喫茶店

 

ハイライトが燃えるとね、こういうふうに、先端から糸が昇るんだ

 

糸?

 

そう、糸が昇っているあいだは、空と繋がっていられる

 

ここには天井があるでしょう

 

天井なんか無いよ。君が頭の中で天井を生んでいるんだ、せっせとね

 

彼は一息の空白をおいて、何か言葉を付け加えたけれど、あっという間に夏の声に連れ去られてしまいました

 

箱が空の色してるから、ハイライトを選んだっていうの?

 

すると彼は、生まれてはじめて猫を見る赤ん坊の顔をした

 

あるいは、生まれてはじめて赤ん坊を見る猫の顔をした

 

なるほど、思いつきもしなかった。やっぱり君はセンスがあるよ。ぜひ詩人にでもなるべきだ。でも、緑色のハイライトだってある。

 

彼はそう言うと、はじめて、神様の気まぐれでハイライトを口に運ぼうとした

 

ぽとりとやわらかく、青いジーンズに灰が落ちる

 

彼が手の甲でそっと払うと、そこには淡いかみなり雲

 

そろそろ帰らなくちゃ、と私は思った

 

アメ玉をくれる清掃のおばちゃんは今日も静かに世界と人間を繋ぎ止めている

同じ工場で働く清掃のおばちゃんからアメ玉をもらった。辛さがほんのりと舌に刺さる、生姜風味ののど飴だった。

清掃のおばちゃんからアメ玉をもらうと、とても安心する。愛と違って、親切は確固としているから負けない。安心するということは、負けないものを誰かから受け取ることである。

 

◆◆◆

 

おれは世渡りが下手なうえ集団への適応力も低い。なので、まだ24歳のくせにいろんな職場を転々としている。職場が変わると、身を置く環境も人間関係も変わる。世界に触れるときの側面も変わる。世界との接点によって自己の輪郭が形づくられるとするならば、おれの輪郭は何度も変容し、ある時点のおれと現在のおれが同一の存在であるとの確信が保てなくなってしまう。

無論、完全不変の自己など存在し得ないことは改めて言うまでもない。「完全に同一な川」が存在し得ないのと同じように。おれたちがいかなる手段を用いて自身の存在を固定させようと試みても、おれたちの肉体の細胞という細胞は絶えず生き死にを繰り返し、意識界にはあらゆる煩瑣な悩みが散らかり、無意識界は常にどろどろと淀んでいる。そして、若さは瞬きをしているうちに過ぎ去る。

おれたちは存在ではなく現象である。そしてまた、世界も。

それでもなおおれたちは、現象を存在だと思い込み、しがみつく。執着をする。実存への不安。

……というような話はまとめて「諸行無常」の四字で説明できたので、実に無駄話だった。

 

でもおれは無駄話をしにきたのだ。アメ玉をくれる清掃のおばちゃんのように。

 

清掃のおばちゃんのアメ玉は、無常にまつわる不安を、たとえごまかしであっても和らげてくれる。今の職場でも過去の職場でも、不意に、それぞれ異なったかたちで清掃のおばちゃんのアメ玉がおれの掌の中に握られた。もちろん、今までにおれにアメ玉をくれた清掃のおばちゃんは、全員別人だ。

それでも、ふと思ったりする。

おれにアメ玉をくれる清掃のおばちゃんは、実は宇宙意思の末端であり、その都度姿を変えておれの前に現れ、アメ玉を媒介としてこの世界の現在が同一世界の過去の地続き上にあることを伝えるメッセンジャーなのではないかと。

 

◆◆◆

 

おれは今日、清掃のおばちゃんからアメ玉をもらったことで再認識をした。

テレビ局のトイレで泣いていたおれも、億ションで下卑た成金にコケにされていたおれも、知的障害者施設で入所者の子とオデコの見せ合いっこしていたおれも、編プロでやたらメシの記事を書かされていたおれも、冷凍ピザ工場でスリランカ人とチンコを触り合っているおれも、同一ではなくとも確実に一本の線とアメ玉で繋がっている。

 

もし明日、あなたが清掃のおばちゃんからアメ玉をもらったのならば、それは、おれが触れた存在と同一の意思から発せられたメッセージなのである。

 


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MISSLIM

MISSLIM

 

 

 

視線にまつわる些事(EIICHI OHTAKIはこのようにして聴かれた)

渋谷は、23時。

 

道玄坂の猥雑なバーで腐りながらビールを胃に流し込んだその帰り道、駅前のTSUTAYAに寄ってぶらぶら歩いた。

おれは2階のCDフロアで、大滝詠一のコーナーを目指していた。特に意味はない。頭が雲っていたのだから。

回っても回っても、邦楽の「あ行」の棚が見つからない。きっとおれは、大滝詠一を探してなんかいなかった。大滝詠一を探さずに、大滝詠一を求めて、TSUTAYAのCDの群れを視界の中でひたすら動かしていた。

そうしているうちに、いつの間にかおれはCDたちの国土から抜け出して、同じ階に併設されているスタバの飲食エリアへ足を踏み入れようとしていた。

 

その奥。窓際。テーブル。こちらに正面を向けて座っている、長い黒髪の女。

おれが女を認識した瞬間には既に、女の視線はこちらの両の目をとらえきっていた。

おれは石になった。

女はテーブルに肘を立て、顎のあたりで指を組んでいた。かなり若い。20歳前後に見える。

仮に、この間、おれが呼吸をしていたならば、きっと空気が肺と口とを観光気分で往復し終えていただろう。それくらいの長い一瞬、おれは女に釘付けにされていた。女の目は、大きく黒く開かれ、現在のおれを挑発し、過去のおれを断罪していた。

おれは金縛りの鎖を破るように、力ずくで視線と身体を外した。そして慌てて身を翻し、ちょうど近くで派手に陳列されていた矢沢永吉RADWIMPSの新アルバムを眺めようと努めた。少し前に池袋で『天気の子』を一緒に観に行った女の子のことを思い出した。香水の匂いがおれにはきつくて、常に半歩分の距離を開けていた。歩くのが速いです、と言われた。彼女も20才くらいだった。

 

矢沢永吉の新アルバムを無感情に手に取り、一応の義理っぽく収録曲を頭から順に目を通す。そうしておれはふたたびあの女へ視線を戻そうとする。あの黒が忘れられなかった。

女はいなかった。編集ソフトで加工された写真のように、顔のない混雑の中、窓際の一席にだけ誰も近寄らない空白が残されていた。

 

◆◆◆

 

ところで、猫はカメラのレンズをレンズと認知しない。大滝詠一なら少しは視線を向けてくれるのだろうが。

 


大瀧詠一 君は天然色 - YouTube

 

A LONG VACATION

A LONG VACATION

 

 

行きどころのない話の話

行きどころのない話というのは、正直なところあまりウケない。特に異性には。

落としどころの見当もまったく付かぬままくどくどと内心を吐露し、話を何度もぐるぐるさせ、同情も共感も助言も叱咤も立ち入らせず最後には相手に「うーん、それって難しい問題だよね」という顔をさせる。要は、今まさに進めているこのような話である。

でもしょうがない。好きなんだから。むしろ始めから分かりきっている話を一から滔々と語る方がよっぽど退屈である。そのような話は「互いの合意形成を可視化する」以上の意義を持たない(もちろん合意の可視化はそれはそれで重要だし、おれたちは意義ありきで会話をするのではない)。

とは言うものの、やっぱり、ストックフレーズを持ち出してその場の「最適解」っぽいことを提示してみせるコミュニケーションが「話が上手い」とされる昨今(?)の潮流にはどうしても与し難い。それっていかにもSNS的じゃないか。

 

話が回りくどくなった。

要は、おれがトークで女の子を楽しませられないのを、ただ自己卑下してみせているだけである。そしてまた、スパッと面白いことを切り返せる人間に嫉妬しているだけもである。はぁしょうもな。

 

しかし、だ。

こんなおれでも、世の口達者さんたちが少しは歯牙にかけてくれそうな言い分は用意してある。

おれは経験的に、「共通の解」よりも「共通の問」を探るほうがより豊かで充実したコミュニケーションを築くことができると知っている。

 

なんだ、だから鬱々とした回りくどい話ばかりを仕掛けるのか。どれだけ弁解しようと結局それは一方的に自分の言葉ばかりをぶつける自慰的行為じゃないか。ならばたとえSNS的応答だろうと正直に相手を楽しませようとしている「世の口達者さん」たちのほうが話し相手としてずっと上等じゃないのか。この独り善がりめ。

 

とか思ったそこの貴君。

 

やめてくれ。その通りだから。

中道

明け方に目が覚めたら、親知らずの周囲の歯肉が大きく腫れ、脈打つように痛みが響いていた。

歯医者に行くために職場への出勤時間を遅くさせてもらおうと考えたけど、せっかく(?)なので、適当な理由をつけて丸一日仕事を休むことにした。半仮病というわけだ。

劇団の公演が控えていたのでまだ抜歯はせず、薬だけもらって、あとは家で本を読み少し昼寝した。

 

午後は池袋へ赴き、名画座で古い映画を二本観る。

特にプロを目指すわけでもない劇団活動を言い訳にしながらフラフラとアルバイト生活を続け、時には今日のように平気で仕事をサボるおれの態度は、ある種の人からすればひどくお気楽で怠惰なものなのだろう。

実際、おれはかつてその「ある種の人」からひどい侮蔑を向けられた経験がある。

 

おれはただ、自分が歩きやすい道を歩きたいだけなのに。