管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

行きどころのない話の話

行きどころのない話というのは、正直なところあまりウケない。特に異性には。

落としどころの見当もまったく付かぬままくどくどと内心を吐露し、話を何度もぐるぐるさせ、同情も共感も助言も叱咤も立ち入らせず最後には相手に「うーん、それって難しい問題だよね」という顔をさせる。要は、今まさに進めているこのような話である。

でもしょうがない。好きなんだから。むしろ始めから分かりきっている話を一から滔々と語る方がよっぽど退屈である。そのような話は「互いの合意形成を可視化する」以上の意義を持たない(もちろん合意の可視化はそれはそれで重要だし、おれたちは意義ありきで会話をするのではない)。

とは言うものの、やっぱり、ストックフレーズを持ち出してその場の「最適解」っぽいことを提示してみせるコミュニケーションが「話が上手い」とされる昨今(?)の潮流にはどうしても与し難い。それっていかにもSNS的じゃないか。

 

話が回りくどくなった。

要は、おれがトークで女の子を楽しませられないのを、ただ自己卑下してみせているだけである。そしてまた、スパッと面白いことを切り返せる人間に嫉妬しているだけもである。はぁしょうもな。

 

しかし、だ。

こんなおれでも、世の口達者さんたちが少しは歯牙にかけてくれそうな言い分は用意してある。

おれは経験的に、「共通の解」よりも「共通の問」を探るほうがより豊かで充実したコミュニケーションを築くことができると知っている。

 

なんだ、だから鬱々とした回りくどい話ばかりを仕掛けるのか。どれだけ弁解しようと結局それは一方的に自分の言葉ばかりをぶつける自慰的行為じゃないか。ならばたとえSNS的応答だろうと正直に相手を楽しませようとしている「世の口達者さん」たちのほうが話し相手としてずっと上等じゃないのか。この独り善がりめ。

 

とか思ったそこの貴君。

 

やめてくれ。その通りだから。