管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

ぼくの傘を持っていかないでください

神田にある小さなラーメン屋で豚骨ラーメンを食べた。雨ふりの午後二時過ぎ、いくらか遅めの昼食だった。

替え玉を一玉だけおかわりし、スープは少し残す。そうして小さくごちそうさまと言い、席を立つ。出口で傘立ての傘を取ろうとする。

しまった。

おれの傘がない。おれの65センチビニール傘がない。持っていかれた。思わずごちそうさまと同等の声量で「やられた」と発してしまい、定員のお姉さん(けっこう可愛い)がこちらを一瞥した。お姉さんは即座におれの受けた仕打ちを理解したはずだが、かといって今さら打つ手立てもないので、おれに言葉を投げかけることなくそのまま厨房の奥に去っていった。「私に言われても困りますからね」と無言で言われた。黒いバンダナからゆらりと垂れる金髪のポニーテールを、おれは見送った。

 

この世界では、ビニール傘を誰の所有物でもないと認識している勢力が密かに跋扈している。彼らは平時こそ地下に潜り表立った行動は謹んでいるようだが、ひとたび雨が降れば手ぶらで地上へと繰り出し、コンビニや飲食店の傘立てに置かれている人様のビニール傘をせっせと回収する。

とある有識者の見解によれば、大量生産される工業製品の代表格であるビニール傘を素体にし、あらゆる秩序紊乱をAIにプログラムした暴走破壊兵器を量産することで、平等を騙る欺瞞と虚飾に満ちた現代高度資本主義社会の破壊、及び、国境という名の虚構によって地球市民たちに精神的幽閉を強制し真の世界融和を阻害する国民国家の転覆を企てているのだという。ソースはNAVARまとめとTogetterと保守速報。

くくく、しかし甘かったなゴキブリどもめ。こんなこともあろうかとおれのビニール傘には指紋と静脈による二重認証装置が施されており、おれ以外の人間が柄を握ろうものなら20分後に爆発するよう仕掛けてあるのだ。その威力は、半径3メートル以内の物質全てを灰に帰す。もちろん、見た目では普通のビニール傘と何ら変わりはない。聞けばおれの他にも傘に時限爆破装置を搭載させている者がいるそうじゃないか。

 

でもな、おれだって好きでこんなことをしているんじゃない。誰かに傘を持ち去られてしまえば、次は自分が他の誰かの傘を持ち去らざるを得ない。すると次に傘を持ち去られた誰かが、また誰かの傘を持ち去る。これでは輪廻ではないか。やむを得ずパクったカルマまみれの傘なんかでは、天候としての雨は免れても心の雨にはいつまでも降られてしまう。こんな悲しいことってあるか。おれの傘を持ち去った人間だってまた被害者なのかもしれない。だからこそおれが誰かを爆殺して傘の輪廻から解き放ち、不幸な盗難のないニルヴァーナへと導いてやらねばならない。これは無明に生きる衆生への救済である。

 

とは言ったものの、これからどうやって家に帰ろうか。ここで誰かの傘を持ち出すわけにはいかない。駅まで雨に濡れながら走るか、それとも近くのコンビニで500円の出費をするか。そうして途方に暮れていると、厨房の奥から店員のお姉さんが戻ってきた。

「あの、これ誰も使ってない傘なんで、よかったらどうぞ」

そう微笑んで、白いビニール傘をおれに差し出してくれた。

おれの顔面が弛緩した。うれしい。かわいい。おれは舞い上がって「ああっした」と滑舌さえも緩んだ礼の言葉を言い、少しでも長くお姉さんに視線を残しながら店を去った。いやあ、いいことあった。たぶんくれた傘なんだろうけど、あとで返しに行けば喋るきっかけができるぞ。いや、返さなくても感謝の言葉から会話に繋がるはずだ。次お店に行くのはいつにしよう。あまり早すぎるとあからさま過ぎるか。でもあまり間隔が開きすぎると忘れられてしまうかもしれない。無難に来週あたりにしておこうか。おれは水たまりをものともしない勝利者の足取りで駅へと向かった。

 

20分後、おれは都営新宿線本八幡行き4号車とともに消し飛んだ。

『管理社会VSシーフードカレー』ゴールデン★ベスト(Disc1)

非正規労働者というのは、ほんとうに、悲しくなるくらいに弱い身の上なのだと思う。つくづく。

また仕事の話をするのか、と自分でもげんなりする。ブログ概要には一応おれが劇団活動にも身を置いていることも明記しているはずなのに、劇団の話なんてぜんぜんしていない。でもまあ、それはそれで問題にはしていない。芝居や演技という行為そのものが感情の発露のひとつであるのだから、今さらここで、舞台に立ったことついて感情の波に乗せながらあーだこーだと書き連ねるのはナンセンスな気がする。というかおれ、そこまで書けるほどの経験も実力もないし。

 

さて、なぜおれがここで白紙を取り出したかというと、端的に言えば、職場で社員から心底つまらなく不可解なイビりを受けたからだ。腹の奥が沸々としている。

そしていま、衝動的に、そして激情的にこの文章をスマホの液晶に落としている。しかしおれは、おれが被った労働現場の理不尽について、特定の個人を指しながら糾弾することは決してしない。おれが中指を立てる相手はあくまでも個人ではなく構造だ。これは、おれが自身の尊厳を守るための薄っぺらい堤防である。

それにしても指がかじかんで思うように動かない。書けない。手が言葉に追いつかない。でもこの感覚には覚えがある。夢の中で誰かを殴っているときだ。なんでこんなに寒いんだよもう。

 

非正規労働者は弱いと、おれは言った。ならば強さとは何か。非正規雇用が弱いのならば、とっとと正規雇用の「いい仕事」に従事して、出世のためのイス取りゲームに勝ち残り、部下を顎で使って、スーツを脱げば模範的優良消費者として自由市場社会のメインストリームに腰を下ろすことなのだろうか。

違うね。

位の高い労働者であること。よりカネをつかう消費者であること。たしかに職場と市場において行使する力量が大きければそれは一種の「強さ」に見えるかもしれない。

しかしその「強さ」は、ここでおれが言いたい「強さ」とは違う。

職場で振るう権勢も、消費のための小金も、みな立場や境遇に付随しているだけの「身の上の強さ」でしかなく、人間存在そのものから発現している「身の内の強さ」とは一線を大きく画すものだ。

カギガッコ入りの言葉なんかをいっぱい使ってみせて(しかも太字!)まるで新たな提言を試みているような語調かもしれないが、子どもでも知っているくらいのシンプルな話をしている。むしろ大人になるにつれ忘れてしまうからこそ、たとえ誰も読まなくてもここで書いておかなければならない。おれよ、頼むから忘れるな。

 

強く在る。なるのではなく、在る。

先ほど言った「身の内の強さ」とは、世俗的上昇によって獲られるものではなく、むしろ反世俗的ともいえる、内的あるいは精神的営為によって獲得されるものと考える。内的あるいは精神的営為とかいうと瞑想や禅の類いを想像するかもしれないが、べつになんだっていい。そんなの人の数だけある。要は世俗に身を置く自己を相対化させ、また、世俗への適応によって磨耗させられる心的エネルギーの有限性を自覚することが肝要なのです。

……こうあんまり理論めいたハナシを頑張ろうとすると、すぐにボロが出て頭悪いのがバレるので、もうやめる。「~的○○」が頻発すると警告サインだ。仏教でいう「戯論」のように、実践にとってはまったく無益で空疎なリクツである。とりあえず歌うか踊れよ。仕事中に。仕事中に歌うか踊るとな、すごいんだよ。遊んでる自分じゃなくて、黙って仕事してる周りの連中こそがアタマからっぽで人生ナメてるように見えるんだよ。

でも、場面や文脈を問わず、こういう世俗的価値観の逆転を経験した人間は、じつはかなり世俗の中でもタフになる。黙って仕事をしている内は自分こそが真面目で誠実に人生を生きていると思うのに、ひとたび仕事中に歌って踊れば、正反対のベクトルに向く同一のエネルギーで、いま歌い踊る自分こそが真面目で誠実に人生を生きているんだぞと思う。矛盾している。相対するふたりの人間が己の中に住まう。コインの表裏の同時的顕在。諧調と乱調の混濁。辛そうで辛くない少し辛いラー油

矛盾していることはたしかに厄介ではある。しかし一撃では死なない。かえって、世俗に適応したいが為に一貫性だけを後生大事に抱きかかえ、そこに相反していたはずの様々な疑念、あるいはその一貫を揺さぶろうとする外界の倫理を「非効率」として剪定してしまうほうが、生存戦略としては愚策でさえある。剪定の先では、一体どのような自分がこちらへ手招きをしているのだろうか。ある食物Aが繁茂しているからといって、肉体そのものを食物Aのために適応させ過ぎてしまえば、食物Aの喪失がそのまま自身の喪失に繋がる。単一の倫理や物語の中に身を浸して生きているのは、毎日全く同じメシを食らっているに等しい。

世界はままならないという事実を、おれたちはすっかり忘失しているのではあるまいか。ヘラクレイトスのパンタレイを。あるいは釈迦の諸行無常を。

あっ、またリクツに走った。↑の一文とかすげえ頭悪そう。もう言わない。バカがバレる。

 

矛盾を抱えて生きることは、実はとてつもなく快活で躍然とした生き様なのではないかと思う。たったいま思いついた。言ってることが昨日と違う。言ってることとやってることが違う。ひとりの中でいろいろ違う。すごいぞ。自身の過去を覆し、自身の未来を挑発する。おれがおれに向け革命の刃を振るい、剣戟の火花が全方位のおれにいとまなく飛び散る。矛盾は自己闘争だ。矛盾しろ。一貫するな。辻褄を合わせるな。ダブルスタンダードでいけ。気よ、変われ。

人間の強い在り方とは、矛盾を矛盾のまま抱え生かし、自我の孕む多面性を立体的に光華させることである。

非正規労働の話とかは忘れた。どっかに行った。もうなにも思い浮かばん。わざとやってるんじゃない。おれの脳みそは常にひっくり返るようにつくられている。だから商業Webライターの仕事が続かなかった。ひっくり返る脳みそを持つ人間に、クライアントの発注どおりの文章が書けるか。「君の文章はねえ、読むのにアタマを使うんだよ」だってさ。はいそうですか。じゃあ一緒に白痴にでもなりますか。でもあんたの白痴とおれの白痴は違うからな。

その違い、今から見せてやんよ。

 

おっ         おっ

 

 

おっ

 

 

(田の中にテニスコートがありますかい?

春風です

よろこびやがれ凡俗!

名詞の換言で日が暮れよう

アスファルトの上は凡人がゆく

顔 顔

石版刷のポスターに

木履の音は這い込まう)

 

中原中也詩集 (新潮文庫)

中原中也詩集 (新潮文庫)

 

 

 

 

わからないのはわかったからさ、とりあえずおれを赤ん坊にしてくれ

なぁにが戦争反対じゃ。毎朝毎朝あの殺気漂う満員電車に性懲りもなく乗り込んでる時点で既にもう戦争に行ってるんだよあんたらは。ほんとうに戦争したくないのなら、いま一度己の「生きる」をたまねぎ剥きながら問い直してみやがれよ。

どうもはじめまして。このたびはブログというものを開設してみました。わからないことだらけだけど、いろんなことを精いっぱい書いてみようとおもいます。こんごともよろしくおねがいいたします。

 

おととい工場で、休憩に入ろうと思い帽子を脱いだらいつも以上に髪が乱れていた。すると、たまたまおれの近くを通りかかった先輩のおねえさん(どう見ても元ヤン)が、「髪めっちゃピンピンしてんじゃーん」とか言っておれの頭をわしゃわしゃと撫でた。

あっ、きもちいい。退行する。

おれは「へへへ」とか言っちゃった。

 

臆面もなく言ってみせるけれど、おれは職場の女性陣にそこそこ可愛がってもらっている。みんなやさしい。おっと、そんなのお前の思い込みだろとという反駁はここでは意味を為さないぞ。「可愛がり」の授受に立証も反証もないのだ。おれがひとたび「可愛がってもらっている」と実感してしまえばあとはもう無敵なのである。

一方同じ「可愛がり」でも、男のそれはクソにまみれている。大概は、ただでさえ粗悪なテレビ芸的「イジり」をさらに粗悪に模造した、もう、なんというか「俺が面白くイジったんだから相応の面白さでお前も何か返せ」と言わんばかりのひな壇的暴力でしかないのだ。結局は「こちらを満足させよ」というメタ・メッセージに収斂する。運動部の先輩が一年坊主に自分の肩を揉ませるのと、いったい何が違うというのでしょうか。練習見てやってんだから肩揉めよ。

だから先の髪の話に当てはめるならば、おれの頭を見るなり「おいおい仕事サボってパーマかけに行ってたのかよ余裕あんなあお前」とか言われるのだろう。想像するだけでげんなりする。しかもおれはこういうときに相手を満足させる返しをしないもんだから、彼らの文脈における「つまらないやつ」の烙印を押されてそのコミュニティを生きることになるのだ。前の職場が実際そうだったのだけれど、おれは男社会の人間にあまり好かれない。

 

だからおれは、誰かを可愛がろうと思ったらなるべく素直にやさしくしようと思っている。たとえば無条件に重い荷物持ってあげるとか。でも、男の先輩が男の後輩の重い荷物を無条件に持ってあげるというのは、どうもヘンらしい。されたほうも明らかにぎこちなくしている。最近工場に入ってきた高校生のバイトくんたち(おれもバイトくんです)を見ていると、やっぱり彼らもイジられて可愛がられるほうが心地よいみたいだ。

男のひとはわからない。女のひとはもっとわからないけど。

まあとにかく男でも女でもそれ以外でもいいから、おれはいつだって素直に可愛がりたいし可愛がられたい。

 

聞けよ。おれは、おれを素直に可愛がってくれるひとがいない世界で生きるつもりはないからな。とりあえず黙っておれを赤ん坊にしてくれ。おれが泣いたときにはふつうに抱きしめて、ふつうに頭を撫でてくれ。あやしてくれ。

 

コンビニ脇の国境線にて

工場での仕事を終えた帰り道、コンビニの脇で二人の中年男が口論していたのを見かけた。風貌からしてどちらもブルーカラー労働者のようだった。きっと同じ会社の同僚同士なのだろう。

二人の会話の内容を仔細に聞いたわけではなかったが、その言葉のやり取りは、なんだか口論というよりは説教に近かった。つまり、明確に、誰が見ても判別がつくくらいに「責める側」・「責められる側」としての国境線が引かれていた。

お前さあ、マジで仕事遅いよ、なあ。新人からも遅いって言われるってのは相当ヤバいよ。おい、分かってんの。新人にも言われてんだぞ。

責めていた方は、確かこんな風なことをまくし立てていたか。そして責められる方はといえば

なんだよ。うるせえな。なんだよ。

と、およそ反論とも呼べないような弱々しい抵抗の姿勢を示すばかりだった。おれの思い込みかもしれないが、声がいくらか震えていた。

責められる方は、きっと自分の仕事がとてつもなく遅いことを自覚していたのだろう。でもどれだけ自身の鈍重さを小突かれ、苛まれようとも、心の一番奥の最後の尊厳だけは傷つけたくなかったのか。でも認めるところは認めなくてはいけない。でもお前なんかにここまで言われる筋合いはない。でも弁解はできない。でも。でも。そんな声音に思えた。なんだよ。うるせえな。なんだよ。

ほんの数秒視野に入っただけの他人の胸中をここまで推し量るおれは一体なんなのだ。正直キモい。でもおれだって、前職の編プロライターのときには散々書くのが遅いと言われた。

執筆記事ごとの所要時間をExcelのシートに細やかに記録され、毎日、毎日、毎日、上司からフィードバックの名のもとにおれの遅筆を指摘された。別に遅筆を開き直るつもりはない。誇張ではなく、会社で一番書くのが遅かったのだから。事実だったのだから。どう解釈を歪めようとも遅いもんは遅い。

 

カワイ君は作業効率がとにかく悪いんだよ。

あの、どうすれば効率あがりますかね。

それは○○君か××君とかに教えてもらって。

 

きっとおれもあの会社で歳を重ねていたら、あっという間に幾多の新人に追い越され、口の悪い同僚とかにどこかの夜道で詰められていたのだと思う。なんだよ。うるせえな。なんだよ。

そして、いま働く工場。細分化に細分化を重ねた徹底的分業システムの元では、肉体的反復動作の最適化がそのまま作業効率の最適化に繋がる。幸い、そこでのおれは誰かの目につくほどトロくはない。かといって特段に仕事が速いわけでもない。居所としてはなんとなく落ち着いたけれど、やっぱり「ここではないどこか」を想って手を動かしている。ユートピアなんてどこにもないのは知っている。でも。

 

工場で働き始めたころ、工場長に、カワイ君はここに来る人間には見えないんだよね、と言われた。どのような含蓄があったのかは知らない。おれはそれに相当する言葉を、これまでに渡った全ての職場で投げかけられてきた。文脈はそれぞれ異なっていたが、きっとあらゆる意味でこの場に相応しくない人間だと思われていたのだろう。

 

おれはここにいるぞと、一体誰に言えばいい?

 

コンビニ脇の国境線を、労働ジプシーが越えてゆく。そうしてイヤホンで耳を塞いで、佐野元春と一緒に11月の夜風を歩く。

 

No Damage

No Damage

 

 

 

 

昨日、おれは隅田川ナポレオンフィッシュと泳いだ(https://youtu.be/MuOdlnOZJCs )

ノー・モア・ペイン・トゥナイト(辞表の正しい提出作法)

編プロで働いていた時期のこと。同期で同い年だったTと、帰りのエレベーターでこんな会話をしていた。最初に口を開いたのはTだった。

「三連休だな、明日から」

「うん」

「なんか予定あんの?」

「特には」

「おれ東京ドーム行く。横浜戦」

「いいじゃん」

「……なあ、おれたちってさ、生きてるうちにあと何回『明日から三連休だな』とか『やっと土日だな』とか言うんだろうな」

「さあ」

「週明けも週半ばも週末のことばっか考えてさ、で、いざ週末となるとこうやって惰性みたいに土日の予定の話するわけじゃんよ。でもさ、おれたちの土日に一体何があるっていうんだよ。巨人と横浜の試合を観戦したおれに一体何があるっていうんだよ」

「うん」

「菅野が投げて坂本が打ったところでおれはまた月曜にはここに来るし、おんなじように井納が投げて筒香が打ったところでお前はまた月曜にはここに来るんだよ。そして月曜からまた『実は巨根だと噂されている男性芸能人特集』みたいな記事を量産するんだよ」

「言いたいことはわかるけどさ、まあ落ち着こうよ」

「くだらねえ」

「……とりあえずさ、このあとバッティングセンターでも行かない?」

「そうだな」

 

王者の星が 俺を呼ぶ

俺はサムライ 呼ばれたからは

鉄の左腕の 折れるまで

熱い血潮の 燃えつきるまで

熱球ひとすじ 命をかけた

ジャイアンツの

ジャイアンツの旗のもと

 

エレベーターを降りたおれとTは、備品庫に立て掛けてあった鉄パイプをそれぞれ持ち出した。でも本当は鉄パイプなんて無かった。

すぐさまエレベーターを上り、オフィスへ戻る。でも本当はオフィスへなんて戻らなかった。

オフィスの一番奥のデスクでふんぞり返っていた社長。まずはTがいの一番に飛び込み、社長の顔面にフルスイングをぶちかました。でも本当は社長の顔面にフルスイングなんてぶちかまさなかった。

社長は芸人の陳腐な驚愕のように後方へ吹き飛んだ。でも本当は芸人の陳腐な驚愕のように後方へ吹き飛ばなかった。

続けておれが、顔面から多量の血を流し身体を痙攣させながら倒れている社長、その毛の薄くなった後頭部にスイカ割りが如く一撃を振り下ろした。でも本当は毛の薄くなった後頭部に一撃なんて振り下ろさなかった。

Tとおれは止まらない。うご、うご、ともがき呻きを上げる社長の五体を全て砕くまで、寸分の隙も与えずひたすらタコ殴りした。でも本当は寸分の隙も与えずひたすらタコ殴りになんてしなかった。

社長は肉塊へと生まれ変わった。でも本当は社長は肉塊へと生まれ変わりなんてしなかった。

眼前の光景を解釈できぬまま硬直している他の社員たちをよそに、Tとおれは社内のパソコンを片っ端から血塗られた鉄パイプで破壊した。でも本当はパソコンを片っ端から血塗られた鉄パイプで破壊なんてしなかった。

そうして最後に、社内に保管してあった原稿を全てひとまとめにし、Tのライターで燃やした。でも本当は社内に保管してあった原稿を全てひとまとめになんてしなかったし、Tのライターで燃やしなんてしなかった。

やがて会社はひとつの炎になった。でも本当は会社はひとつの炎になんてならなかった。

燃え盛るオフィスの隅で、後輩の女子のKさんが震えていた。でも本当は燃え盛るオフィスの隅で後輩の女子のKさんは震えてなんていなかった。

Tとおれは二人ともKさんのことが好きだった。

おれたちはKさんのもとへ歩み寄り、一緒に行こう、こんな会社止めようと言った。Kさんは目に涙を滲ませながら、最低、最低、あんたらなんか最低の屑、死ね、とおれたちを罵った。

 

こうしておれたちは円満に退職した。おれは東京の端の冷凍ピザ工場に流れ着き、Tはどこで何をしているかは分からない。

 

くじけぬ翼 かけのぼる

灰になっても とぶ火の鳥

野球地獄で 男をみがけ

ジャイアンツの

ジャイアンツの旗のもと

ジャイアンツの

ジャイアンツの旗のもと

 

 

(参考文献:https://youtu.be/uAC86cxq8-8 )

 

適応が不得手な非正規雇用のおじさんよ

おれの働く工場が増産体制に移行してからというもの、ぞろぞろと新人バイトさんが採用されるようになってきた。毎日のように誰かに新しいことを教えながら仕事を進めているので、すでに手馴れた作業でも普段の1.5倍は労力を要しているような感覚である。

とはいえ、どのような言葉を用いてどのくらいの歩調で相手に手順を伝えれば良いかを、常にメタ認知を起動させながらコミュニケーションを交わすのは存外楽しい。自分が新しい仕事を覚えるときとは異なった試行錯誤がある。

メッセージの送・受信経路に横たわるブラックボックスこそが、人間コミュニケーションのキモであり醍醐味でもある。機械は勘違いができるほど賢くない。

そのおかげか今となっては、カワイさんの説明はすごく丁寧で分かりやすいと言ってもらえるようになった。ふ。

 

ところで、新人バイトの構成員はその大半が学生だが、ほんの少数、おじさんが混じっている。まるで不純物の類を指しているかのような物言いかもしれない。でも実際「混じっている」と言いたくなってしまうくらいに、若者グループの中のおじさんは際立つのである。

正規雇用のおじさん。

そう自分で口に出してみると、かつて警備員として働いていた時期を思い出す。

 

おれがかつて働いていた警備会社は、本社にいる少数の役職者を除いて殆どの従業員が非正規労働者として現場に従事していた。そしてその現場に立っているのはかなりの比率でおじさんだ。ALSOKなどではない中小警備会社は大方そのような運営である。

当時のおれは複数の現場に配属され、ゆく先々で色んなおじさんと一緒に働いた。みな、それぞれ異なった程度とかたちで適応に難を抱えていた。

自分が一度口を開いたら他人の話を聞く耳を閉じる人。極端に想定外に弱く、ほんの小さなインシデントの前でも対応不能になってしまう人。自己の行動規範への執着があり、たとえひとつの正解であっても他者の価値観に不寛容である人。

このような人たちを列挙すると「それってADHDとか発達障害とかでしょ?」とついストックフレーズを持ち出したくなる。でもおれはここで彼らの特性に名前を貼り付けて、ぼくたちみんな大変だけどいつか個性と多様性を包摂できる社会になればいいね、なんて鋳型的コメントで締めたくはない。

名前はあくまでも解釈である。たしかに「仕事や集団への適応に難を与える特性」への解釈が改まれば、個性と多様性を包摂できる社会へと一歩前進するだろう。おれだってそうなる方が良いと思っている。特性への命名自体には決して反対しない。でも、ある決まった名前が刻印されてしまうことで、名前が与えられる前に確かにそこに存在していた、ほんの小さな「ノイズ」のようなものが捨て去られてしまうのではないか。そんな気がしてしまう。

その「ノイズ」とは何か。すまん、おれも分からん。そこそこ久しぶりだけど、また自分でも分からないことを書いてしまった。いや、分からないからこそ書きたかったのかもしれない。あまり真に受けないでくれ。

 

話を工場に戻す。新しく入ってきたバイトのおじさんの一人も、正直なところ「うまくやっていけてない」タイプの人だった。指示された通りに業務を進めることが困難で、何らかの注意を受けてもハイ、ハイ、と意気の良い返事のみで終わり、結局なにも改まらない。会話もあまり上手くなく、不必要に強い語気でこちらに質問し(間違いなく本人は意図していない)、なんだか糾弾を受けているような気分にさせられることもある。やりにくい。そしてやりにくい人には当然、他の従業員からの不評が噴出する。

誰かの口から発せられる「××さんてすごく難しい人だよね」という言葉は、大抵「私はあの人から不快な思いをさせられている」という文脈の上にある。申し訳ないが、おれもつい同調してしまう。そうしているうちに、あのおじさんは集団から孤立してしまうのだろうか。

仕事と集団への適応が不得手な、非正規雇用のおじさんよ。おれもいつかおじさんになる。

 

おれにできることはといえば、仕事の外にいる時はなるべく愛想よく接することくらいである。

人間としてフェアに関わる。とりあえずフェアでいれば、なにかがなんとかなる。

根拠はない。

せんたくもののうた(さくし:くれおぱとらの74ばんめのどれい)

ちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃちゃー

(なんだかいいわね)

ぱーらーぱーぱーぱーららー

(けっこういいわね)

たーらーらーらーらーたーたーたーたーららー

(あんがいいいわね)

ぴゃーらーらーらーらーぴゃーらーららーらー

(とってもいいわね)

 

わたしのわたしのキャリー・バッグに

つめこむものはといえばぜったい

ようふく

はブラシ

CDと

ゆめと

なみだと

よろこびと

 

きれいなこえは

してないけれど

虹のむこうまで

うたいたい

ステップうまく

ふめないけれど

雪のむこうまで

おどりたい

 

だからねむるな

ねむるなうずまけ

血よ

恋よ

太陽ののこした

さいごの口づけよ

 

ナイル川のきらきら

ナイル川のきらきら

イナゴたちのいらいら

 

きょう私は

クレオパトラのおひざもとで

スター・トレックのテーマをききながら

せんたくものをたたみました

 

そんな夜