管理社会VSシーフードカレー

いくつもの時代にわたる管理社会とシーフードカレーの戦いを描いたオムニバス映画です。

適応が不得手な非正規雇用のおじさんよ

おれの働く工場が増産体制に移行してからというもの、ぞろぞろと新人バイトさんが採用されるようになってきた。毎日のように誰かに新しいことを教えながら仕事を進めているので、すでに手馴れた作業でも普段の1.5倍は労力を要しているような感覚である。

とはいえ、どのような言葉を用いてどのくらいの歩調で相手に手順を伝えれば良いかを、常にメタ認知を起動させながらコミュニケーションを交わすのは存外楽しい。自分が新しい仕事を覚えるときとは異なった試行錯誤がある。

メッセージの送・受信経路に横たわるブラックボックスこそが、人間コミュニケーションのキモであり醍醐味でもある。機械は勘違いができるほど賢くない。

そのおかげか今となっては、カワイさんの説明はすごく丁寧で分かりやすいと言ってもらえるようになった。ふ。

 

ところで、新人バイトの構成員はその大半が学生だが、ほんの少数、おじさんが混じっている。まるで不純物の類を指しているかのような物言いかもしれない。でも実際「混じっている」と言いたくなってしまうくらいに、若者グループの中のおじさんは際立つのである。

正規雇用のおじさん。

そう自分で口に出してみると、かつて警備員として働いていた時期を思い出す。

 

おれがかつて働いていた警備会社は、本社にいる少数の役職者を除いて殆どの従業員が非正規労働者として現場に従事していた。そしてその現場に立っているのはかなりの比率でおじさんだ。ALSOKなどではない中小警備会社は大方そのような運営である。

当時のおれは複数の現場に配属され、ゆく先々で色んなおじさんと一緒に働いた。みな、それぞれ異なった程度とかたちで適応に難を抱えていた。

自分が一度口を開いたら他人の話を聞く耳を閉じる人。極端に想定外に弱く、ほんの小さなインシデントの前でも対応不能になってしまう人。自己の行動規範への執着があり、たとえひとつの正解であっても他者の価値観に不寛容である人。

このような人たちを列挙すると「それってADHDとか発達障害とかでしょ?」とついストックフレーズを持ち出したくなる。でもおれはここで彼らの特性に名前を貼り付けて、ぼくたちみんな大変だけどいつか個性と多様性を包摂できる社会になればいいね、なんて鋳型的コメントで締めたくはない。

名前はあくまでも解釈である。たしかに「仕事や集団への適応に難を与える特性」への解釈が改まれば、個性と多様性を包摂できる社会へと一歩前進するだろう。おれだってそうなる方が良いと思っている。特性への命名自体には決して反対しない。でも、ある決まった名前が刻印されてしまうことで、名前が与えられる前に確かにそこに存在していた、ほんの小さな「ノイズ」のようなものが捨て去られてしまうのではないか。そんな気がしてしまう。

その「ノイズ」とは何か。すまん、おれも分からん。そこそこ久しぶりだけど、また自分でも分からないことを書いてしまった。いや、分からないからこそ書きたかったのかもしれない。あまり真に受けないでくれ。

 

話を工場に戻す。新しく入ってきたバイトのおじさんの一人も、正直なところ「うまくやっていけてない」タイプの人だった。指示された通りに業務を進めることが困難で、何らかの注意を受けてもハイ、ハイ、と意気の良い返事のみで終わり、結局なにも改まらない。会話もあまり上手くなく、不必要に強い語気でこちらに質問し(間違いなく本人は意図していない)、なんだか糾弾を受けているような気分にさせられることもある。やりにくい。そしてやりにくい人には当然、他の従業員からの不評が噴出する。

誰かの口から発せられる「××さんてすごく難しい人だよね」という言葉は、大抵「私はあの人から不快な思いをさせられている」という文脈の上にある。申し訳ないが、おれもつい同調してしまう。そうしているうちに、あのおじさんは集団から孤立してしまうのだろうか。

仕事と集団への適応が不得手な、非正規雇用のおじさんよ。おれもいつかおじさんになる。

 

おれにできることはといえば、仕事の外にいる時はなるべく愛想よく接することくらいである。

人間としてフェアに関わる。とりあえずフェアでいれば、なにかがなんとかなる。

根拠はない。